【ストーリー】川崎洋子さん 卵巣がん 漿液性腺癌/ステージ3C 

卵巣がん 川崎さんのがんに関するストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】川崎洋子さん 卵巣がん 漿液性腺癌/ステージ3C 
  2. 第1話「身体中の関節の痛み」
  3. 第2話「血液検査報告書とレントゲン画像」
  4. 第3話「うまく動かない指の関節」
  5. 第4話「めったにない不正出血」
  6. 第5話「悪性の可能性」
  7. 第6話「卵巣がん特有の腫瘍マーカー。大腸、胃への転移の可能性」
  8. 第7話「アレルギー反応での手術中断可能性」
  9. 第8話「無事手術が終わり抗がん剤治療へ」
  10. 第9話「2度目の手術。リンパ節切除。」
  11. 第10話「元の職場への復職」
  12. 第11話「患者さんを励ます側へ」

第11話「患者さんを励ます側へ」

2003年に卵巣がんが見つかり一年超に及ぶ入退院を繰り返した東京都在住の川崎洋子さん(54歳、2003年当時41歳)は、2004年の春から徐々に元の生活を取り戻していった。

「実は少し怖かったんです」
美容師として復帰した川崎さんはそういう。
時間とともに流行が変わるファッション業界。
1年近くも現場から離れていたのだから当然の不安だ。

ただ川崎さんは入院中も美容雑誌を見て勉強を続けていた。
しかも10月にはがん治療中にもかかわらず文部省が認定する「ファッションコーディネート色彩能力検定」試験を受けて合格している。
最もつらく厳しい治療中にもかかわらず仕事に復帰する日のことを考えて準備をしていたという。

また嬉しいことに膠原病(こうげんびょう)のステロイド治療も2006年3月で終えることができた。
この頃、いつも慎重な婦人科の担当医から初めてこういわれる。

「よくがんばりましたね」

がんから7年が経過して、これで一安心だという意味だった。
退院後も心のどこかで「再発」の2文字を恐れていた川崎さん。
担当医のこの言葉で「もう大丈夫なんだ」と思えて心から喜んだ。

大切な日常を取り戻していった川崎さんは、2012年に自宅近くの杉並区の美容室に転職した。
老いた父親の介護がきっかけだった。

新しい職場は、カット、ヘア、パーマのみならず、ネイル、エステ、着付けまで行う総合的な美容室だ。
オーナーが積極的な人で新しいことにどんどんチャレンジする雰囲気がある。
川崎さんは以前ニュースで聞いた、医師、看護師、美容師の3専門職の人たちが一緒になってがん患者を支える取り組みをこの美容院で導入できないかとオーナーと相談している。

抗がん剤治療等で髪の毛を失う女性患者には治療のみならず美容の側面からの精神的サポートが大切だ。
この医療と美容の両面で女性がん患者の生活の質(QOL)を高める取り組みに挑戦しようとしている。

かつては励まされる側にいた川崎さんが、いま患者さんを励ます側になっている。
幼かった息子はもう大学生。
幸せをかみしめる毎日だ。

>>川崎さんのインタビューを読む

>>川崎さんのがん経済を読む

取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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