【インタビュー】卵巣がん(漿液性腺がん) ステージ3c 大塚美絵子さん

卵巣がん(漿液性腺がん)サバイバー大塚さんへのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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『がんの診断からリハビリまで』

基本情報

名前: 大塚美絵子さん
年代: 50代、女性
自己紹介: 埼玉在住の活動的なおばちゃんです。「人生楽しく」がモットー
病名: 卵巣がん(漿液性腺がん)
進行: Stage III C
治療期間: 2012年7月~2013年3月末 9ヶ月間
受けた治療:
2012年7・8・9月 マンスリーでタキソール+カルボプラチン(入院して点滴)
2012年11月 手術 左右卵巣+子宮 全摘、大網 切除、骨盤内リンパ節 57個郭清
2013年1月 タキソール+カルボプラチン 標準量  2月副作用が激しいため20%減薬
2013年3月 副作用が激しいため2月から更に20%減薬

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がんの診断が下りてから治療を始めるまでにされたことは何ですか?

実は、時間がなくて何もできませんでした。担当医との面談時にその場でガンを告知され、入院しての治療開始が4日後ということでした。
あまりにも慌ただしく時間的余裕も体力的余裕もなく、何もできなかったのが実情です。

では、当時を振り返り、今だったら治療開始までに何をされると思いますか?

私は病院が自分の病気の治療に適した施設かを確認します。
当時は病院のホームページ(HP)すら観なかったのですが、今ならそれを確認します。記述の質や記述量だけでも病院の力を入れている分野や得意分野がある程度わかるからです。
私の場合は卵巣がんだったのですが、病院によっては産婦人科で産科専門医が診る場合もあります。この場合専門性がないお医者さんになりますので、例えば婦人科がんの治療には、婦人科腫瘍専門医がその病院にいるのかを確認し、治療を受けるのが良いと思います。その方が予後も良いと聞きます。

家族や会社お医者さんとのコミュニケーションで苦労されたこと、やって良かったことを教えてください。

80歳過ぎの親に自分がガンであることを伝えるのに苦労しました。親が娘のガンを知りパニックに陥る恐れがあり、私から親にガンのことを伝えることは出来ませんでした。ですので自分から伝えるのではなく、1週間後に私と妹夫婦も同席する場でお医者さんから私のガンを伝えてもらいました。
会社に関しては実は先に退職の予定があり、その後ガンが見つかりました。だから治療期間中の就業についてのお話は無かったです。 私の場合レアケースだったため人事部が傷病手当の規定を読み違えてしまい、危うくもらい損ねるところでした。都の労働相談の方から指導してもらいやっと支給してもらえました。また失業手当の支給延長にしても、市役所の担当者の説明が二転三転し県庁に電話してやっと了解しました。会社の人事部やお役所の担当官、必ずしも全員が事務に精通している訳ではないことに注意が必要です。

今後、もし再就職したり雇用される場合は、新しい会社に自身のガンのことを事前に伝えますか?

就職のケースにもよると思いますが、事前に説明する予定です。なぜなら退職から再就職までのブランクの期間何をしていたのか?聞かれるので、病気治療をしていたことを隠すとあとあとトラブルになり得ると思うからです。これからも経過観察で病院に行かなくてはなりませんし、事前にしっかりご説明しておけば、体調の悪い日にお休みも取りやすいでしょうから。

お医者さんとのコミュニケーションはいかがでしたか?

私はラッキーなことに、とても理解のあるお医者さんが担当して下さり、コミュニケーションで苦労したことは、あまり、ありませんでした。

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

お恥ずかしながら、まったく褒められたもんではないですが(笑)、部屋にひきこもって何日も口をきかなかったり、ガラスを割ったりしました。日記を書いたり、旧くからの友人と話すことで気持ちを建て直しました。
あと、5yearsのように、ガン経験者の方と話して、とても気が楽になったことがありました。やはり、ガンを経験し、乗り越えて行った人たちと、話すことは、精神的に、とてもいいと思います!!!

自分と向き合う時、他にやって良かったことはありますか?

実は「終活」をしていました。つまりこれまで自分がお世話になった方々にお礼の言葉を書き出したんです。そうしたら、こんなにも多くの方にお世話になり支えられたんだとわかり、「このまま、死ねるか!」という前向きな気持ちになっていったんです。
そんな気持ちの変化が起こったことが、私にはとても良かったと振り返ります。
終活をすると自分とって本当に大切なものは何かが明確になります。また感謝のことばを綴ると、不思議に自分の内側から力が湧いてきます。絶対お勧めです。

ご自分はなぜ、がんサバイバーになれたと思いますか?

正直、運が良かったと思います。
でも私の楽天的な性格が良い結果を生んだと思います。例えば、抗がん剤が50%の人に効果的とあると「たった、50%しか効かないのか」と思うのではなく、「50%も効くんだ」と思うんです。
そうして、ポジティブに考えられたことが良い予後につながったと思います。

治療中、他の人からかけられた言葉で嬉しかった言葉は何ですか?

私は副作用が激しかったこともあり「こんな治療を受けて、今後どうなるんだろうか、、」と疑問に思った時がありました。その時、仕事の先輩から「治療が終わったら、また一緒に働きましょう」といわれ勇気づけられました。
ガン治療が終わってからの、私の人生に、目標を与えられた気持でした。
とても感謝しています。

リハビリ期間中に苦労されたこと、学んだ教訓について教えてください。

抗がん剤の副作用で骨髄抑制が発症し、白血球の数値が低下して感染症危険が出ていた時がありました。なるべく人との接触を避けなくてはいけない大事な時でした。
そんな時に、事情を良く解っていない親戚や知人がお見舞いに来て困ったことがありました。
人と会いたくないときに良かれと思ってお見舞いに来てしまう人たちには、苦労しました。
もし、今後同じ状況になったら、その時は看護師さんとかから「今は感染症の危険があるので、患者さんのために面会はやめて下さい」と伝えてもらおうと思います。

女性特有のガンだったことから、苦労されたことはありますか?

40歳前に卵巣癌や子宮がんを発症された方は女性特有の臓器を失うことで悩まれる方もいらっしゃいます。破談になったり離婚された方もいらっしゃいます。先日「女性特有のガンの社会的認識を向上させよう」というキャンペーンに参加したのですが、その際製薬会社の女性社員たちがベビーカーでお子さんと一緒に何名も参加していて、趣旨を全く理解していないことに幻滅しました。

今後の夢、今後やろうとされていることは何ですか?

自分のやりたいことを我慢しないで、どんどんやっていくことです。そして私の闘病経験を他の方にお伝えし、活かしてもらって、他の方々のQOLが向上するような活動をしたいです。

取材:大久保淳一

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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