卵巣がん 川崎さんのがんに関するストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】川崎洋子さん 卵巣がん 漿液性腺癌/ステージ3C
- 第1話「身体中の関節の痛み」
- 第2話「血液検査報告書とレントゲン画像」
- 第3話「うまく動かない指の関節」
- 第4話「めったにない不正出血」
- 第5話「悪性の可能性」
- 第6話「卵巣がん特有の腫瘍マーカー。大腸、胃への転移の可能性」
- 第7話「アレルギー反応での手術中断可能性」
- 第8話「無事手術が終わり抗がん剤治療へ」
- 第9話「2度目の手術。リンパ節切除。」
- 第10話「元の職場への復職」
- 第11話「患者さんを励ます側へ」
第2話「血液検査報告書とレントゲン画像」
2002年夏に原因不明の身体中の関節の痛みから近所のかかりつけ病院を訪れた東京都在住の美容師、川崎洋子さん(54歳、2002年当時40歳)は、膠原病(こうげんびょう)の疑いを告げられ専門医のいる病院を紹介された。
「早く治したい。こんなに身体が痛くては仕事を続けられなくなってしまう」
2002年10月。
紹介された日赤病院に行き、かかりつけ病院からもらってきた血液検査報告書とレントゲン画像を膠原病の専門医にみせた。
日赤病院の医師はそれを見て言う。
「この病院では本格的な検査と治療ができません。実は、私は東京医科歯科大学医学部附属病院の医師です。非常勤でこの病院に来ています。ぜひ、うちの病院に移り2週間ほど入院して検査を受けてください」
これで4つ目の病院となる。
そして「入院」という言葉が川崎さんに重くのしかかった。
息子はまだ4歳の保育園児。
その上、入院したら仕事も休まなくてはならない。
勤務している美容室のみんなに迷惑がかかる。
「先生、病院に通院して検査を受けることはできないでしょうか?」
しかしそれはできないということだった。
これまで出産以外に入院というものをしたことがなかった川崎さんにとって、とても大きなことだった。
さっそく美容室のオーナーに携帯電話で連絡すると、
「ちゃんと検査をしてもらって、元気になって戻ってきてほしい」
川崎さんを気遣うありがたい言葉を返された。
そして夫にも連絡した。
「2週間だったら僕が息子の世話をするから安心して」
ご主人は会社の上司に報告し、2週間は残業なしの定時で仕事をあがらせてもらうことにする。
いよいよその検査入院が始まる。
次のページを読む >> 第3話「うまく動かない指の関節」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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