【ストーリー】川崎洋子さん 卵巣がん 漿液性腺癌/ステージ3C 

卵巣がん 川崎さんのがんに関するストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】川崎洋子さん 卵巣がん 漿液性腺癌/ステージ3C 
  2. 第1話「身体中の関節の痛み」
  3. 第2話「血液検査報告書とレントゲン画像」
  4. 第3話「うまく動かない指の関節」
  5. 第4話「めったにない不正出血」
  6. 第5話「悪性の可能性」
  7. 第6話「卵巣がん特有の腫瘍マーカー。大腸、胃への転移の可能性」
  8. 第7話「アレルギー反応での手術中断可能性」
  9. 第8話「無事手術が終わり抗がん剤治療へ」
  10. 第9話「2度目の手術。リンパ節切除。」
  11. 第10話「元の職場への復職」
  12. 第11話「患者さんを励ます側へ」

第6話「卵巣がん特有の腫瘍マーカー。大腸、胃への転移の可能性」

2002年から膠原病(こうげんびょう)のステロイド治療をしていた東京都在住の川崎洋子さん(54歳、2003年当時41歳))は、翌2003年2月に不正出血がおこり同じ病院の婦人科を訪れた。そして検査の結果、悪性腫瘍の可能性があるとして手術を勧められる。

2003年4月11日。
川崎さんはこの日のことを特別よく覚えているという。
担当医から悪性腫瘍の可能性を示唆された。
そしてこの日、血液検査結果のレポートにあったCA125値に目が行った。

CA125は、卵巣がん特有の腫瘍マーカーの一つで正常値は35 U/ml以下。
それが、CA125: 17,500 U/ml

6年前の母親の卵巣がんのときからこのマーカーについては知っていた。
だからこの17,500が意味する重い事実は容易に想像できた。
とても恐ろしい…。

入院は1週間後の4月17日、手術は5月1日。
深く考える間もなく次々と言われるままに予定が入れられていく。

入院までの間は職場に顔を出し仕事の引継ぎに追われた。
美容室のオーナーからは温かい言葉をかけられる。
「仕事のことはいいから、しっかり治してまた戻ってきてほしい」
理解あるオーナーの優しさに泣けた。

そしていよいよ入院の日。
初日から信じられないことの連続になる。
まず教授回診のとき「乳腺にがんが転移している可能性がある」と言われ超音波検査とマンモグラフィー検査。
翌週は大腸への転移の可能性を示唆され大腸内視鏡検査。
次は胃への転移の可能性として胃カメラ。
検査を受けるたびになんとも不思議な気持ちになっていった。

「膠原病と診断されたのが半年前。この6ヶ月間いろんな検査をしたが、なぜがんを見つけられなかったのか…?」
一方で「もし膠原病の治療のために通院していなかったら不正出血くらいでわざわざ病院で診てもらっただろうか?多分そんなことしていない」
この6ヵ月間のことを心の中で反芻(はんすう)していた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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