乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第4話「アルバイトをしながら」
テレビドラマの子役として活躍した東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、2004年当時22歳)は、青山学院大学に進学する一方、ヴォイス・トレーナーズ・アカデミーに通い歌手デビューを目指し練習していた。
アカデミーでレッスン三昧の4年間は、あっという間に過ぎた。
友人たちは皆、それぞれの企業に就職し社会人として羽ばたいていった。
ついこの前までは、「青学生の田辺絢美(旧姓)」として自己紹介できた。
しかし、今、デビューもしていないので歌手とは名乗れない。
会社の看板もなければ、肩書も、名刺もない。
「早く一人前にならなくちゃ…。でも、これを仕事として、お金を稼ぐことなんてできるのかな…?」
迷い、もがいていた。
さすがにお金が必要なので、アカデミーの事務所のお手伝いアルバイトをしながらレッスンを受ける。
さらに、今後のことも考え、ヴォイストレーナーになるための勉強も始めた。
生徒とスクール側の架け橋となるが、板挟みになることもあり、都度、器用にふるまい気を遣う毎日だった。
2007年、25歳の誕生日、友人たちが企画してくれた絢美さんの誕生パーティーがあった。
この日、中学・高校時代からの友人たちが20人以上集まった。
久しぶりに素の自分に戻れた感じで、とてもリラックスでき楽しかった。
この時、大切なことに気づく。
歌手、音楽の世界で活躍するなら、どこかとがった個性とか、強い個性が必要なのではないかと思い、器用にふるまう自分を良しとしてこなかった。
しかし…、
「私は、水のようでいいんだ。水のようでありたい」
そんなことを思うようになる。
相手とか、環境の違いに、上手く立ち振る舞う自分を、まるで容器の形にあわせて形を変える水のように表現し、自分の価値として受け入れた。
そしたら、肩に入っていた力が、スーッと抜け生きやすくなる。
この3年間、アカデミーで半年に1回音楽プロデューサーを招いて行われる生徒発表会ではことごとくうまくいかなかった。
だから、焦ってもがいていたが、自分のスタイルが解ったことでぐっと楽になった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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