【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー

乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
  2. 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
  3. 第2話「青山学院中等部へ」
  4. 第3話「歌手デビューを目指す」
  5. 第4話「アルバイトをしながら」
  6. 第5話「苦節8年歌手デビュー」
  7. 第6話「母親の乳がん」
  8. 第7話「30歳を目前に控えて」
  9. 第8話「右胸のしこり」
  10. 第9話「乳腺外科へ」
  11. 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
  12. 第11話「全身化学療法」
  13. 第12話「母の他界」
  14. 第13話「右乳房切除術」
  15. 第14話「新生Ayamiとして」

第8話「右胸のしこり」

26歳で歌手デビューした東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、2015年当時32歳)は、圭介さんとのお付き合いが始まった。一方、母親は、2年前の乳がんが転移し治療を受けた。

2015年4月、単身赴任から父親が戻り、田辺家は再び東京で3人の生活になっていた。
そして、「お試しの1ヵ月」から始まった交際は、既に2年近くが経ち、この間、圭介さんのご両親にも紹介され、いつ結婚しても不思議ではないカップルになっていた。
そんな最中の7月、圭介さんの父親が他界する。
絢美さんは母親と一緒にお通夜に参列し焼香をした。
集まった兄弟が圭介さんの背中を押し、その日の夜、圭介さんは電話で絢美さんにこうお願いする。

「明日(告別式の日、僕の)婚約者ということで来てくれないか…」
不思議なプロポーズだった。

絢美さんはそれを快く受ける。
そして告別式の日、絢美さんは参列者ではなく、家族として出席。
出棺の際、圭介さんが亡き父親に向かいこう言った。
「僕、絢美と結婚するからね、安心してね」
2人とも涙を浮かべながら最後のお別れをした。

結婚という幸せなイベントが待ち受けているにもかかわらず、この年(2015年)、絢美さんに試練が起きる。
風呂上がりにベッドの上で横になったとき、右胸の内側にコロッとしたものを感じた。
「なんだ、これ?」

触ってみると大豆くらいの大きさで、丸い異物が右胸の中にある。
とっさに乳がんのことが頭に浮かび、母親が通院したクリニックを訪れた。
50代後半の男性医師は、エコー検査の結果を診てこういう。
「恐らく良性のしこりです。急に大きくなったり違和感があったら、また来てください」
医師は、画像だけで結論付けてしまう。
だが、この時、良性という言葉を聞き、取り敢えず安心した。

一方、母親の容体はと言うと…、
2011年に乳がんを発症して以来、結果的に手術も抗がん剤治療も受けずじまいだった。
そして、2015年・秋から、体調を崩していた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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