【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー

乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
  2. 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
  3. 第2話「青山学院中等部へ」
  4. 第3話「歌手デビューを目指す」
  5. 第4話「アルバイトをしながら」
  6. 第5話「苦節8年歌手デビュー」
  7. 第6話「母親の乳がん」
  8. 第7話「30歳を目前に控えて」
  9. 第8話「右胸のしこり」
  10. 第9話「乳腺外科へ」
  11. 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
  12. 第11話「全身化学療法」
  13. 第12話「母の他界」
  14. 第13話「右乳房切除術」
  15. 第14話「新生Ayamiとして」

第14話「新生Ayamiとして」

2015年11月、乳がん(トリプルネガティブ、ステージ3C)と診断された東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、2016年当時34歳)は、2016年1月より抗がん剤治療(ドセタキセル、FEC)、8月に手術(右乳房切除術+センチネルリンパ節生検)を受けた。

胸の傷口が落ち着いた10月、絢美さんは、計33回の放射線治療に挑んでいた。
まずは、1回2グレイの照射を平日5日間、5週間連続で25回受ける。
さらに胸骨の後ろにあるリンパ節に乳がん転移が認められたため、そこに8回照射する合計33回の治療。
10月6日から始まったが、毎日、自転車で通院し治療を受けた。
副作用で胸の肌がただれてしまい、常にジクジクしていた。
そんなつらい放射線治療も11月には終わり、少し解放された気持ちになる。

そして最後、この年(2016年)12月から、経口の抗がん剤(ゼローダ)を翌年5月末まで服用。
手足のひび割れに悩まされたが、ともかく、すべての乳がん治療をやり遂げた。
風呂上がりに胸のしこりを見つけてから約2年が経っていた。

2017年。
絢美さんは自分の身体に何が起きたのか知りたくて、そして自分の今後の活動のために、BEC(Brest Cancer Experienced Coordinator)の資格に挑戦した。
インターネット上のE-learning(前期)とケーススタディ・ロールプレイングを経て取得できる民間の資格だ。
3月の全体発表後、無事、認定書をもらえた。

BECで知り合った仲間たちと「SMash BEC」という活動も始めた。
乳がん患者向けにヴォイストレーニングをしたり、コーラスなど2時間好きな歌を歌う会。
カラオケボックスに15人ほどが集まり、大きな声で歌ったあとはスッキリすると好評だ。
がんを発病してから休止していたブログも、闘病日記として再開した。

そして何より、ライブ活動を復活させた。
前の年までは、歌を唄う気持ちにはなれなかった。
母親を失ってからは、歌ったら泣いてしまいそうで歌えなかったのだ。

夫の実家が喫茶店をやっているので、ライブはそこを会場にして月1回のペースで開いている。
「(私)泣かずに唄っている…」
その事実がとても大きく、自信を取り戻すきっかけになる。

病気になる前、ふとした時、自分が唄う意義が解らないときがあった。
あまりに漠然としていて、唄うのは自分でなくても良いのでは…とすら感じたこともある。
しかし、がんを経験し、母親を失い、誰に何を歌で伝えたいかが解ってきた。
失ったものは決して小さくないが、それと引き換えに大切なものを得たと感じている。

母からのメッセージと母との約束。
私だからできることがあるはず。
自分が元気でいることで、歌という手段があることで、他の人を元気にすることができる気がしている。

2017年12月、昭和大学病院で開催されたクリスマス会で新生Ayamiさんは、歌った。
多くの患者と家族の心に響く歌だった。
同じ月、5yearsのクリスマス会でも歌った。
5yearsに参加している同志達、会場で聴く者たちを魅了させ、それぞれの心に強く響く歌声だった。

2018年の目標に、デビュー時から唄ってきた場所でのライブ復帰がある。
そして歌のレッスンとヴォイストレーナーの仕事も本格的に復活させたい。
いま、歌に対する取り組みが大きく変わっている。
強烈な経験をしたからこそ、見えてきたものがあるのだ。

厳しく、つらい時期を乗り越え、また、一歩ずつ前に進んでいるAyamiさんだ。

>>大月絢美さんの「インタビュー」はこちら

>>大月絢美さんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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