乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第3話「歌手デビューを目指す」
小学生の頃、テレビの子役として活躍した絢美さん(東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、1997年当時15歳)は、その後、青山学院中等部に進学し学校生活を満喫していた。
中学校での生活は楽しかったが、小学校の頃とは違いテレビドラマの仕事は減った。
中高一貫校だったので、その後、青山学院高等部に進級し、高校では野球部のマネージャーを務める。
絢美さんは演じる者として女優であり続けたいと思っていたが、常に新人を求める芸能の世界、さらに10代後半になるとビジュアル重視の傾向が強くなる。
中学3年の時に連続ドラマ『職員室(TBS)』に出演するものの、やがて仕事から遠ざかり時間が経っていく。
高校3年生になり、今後の進路を決める時期がきた。
青山学院が大好きな絢美さんは、国際政治経済学部を希望し、内部推薦枠で進学が決定。
大学受験が無いので、進学が決まってからは残りの高校生活を満喫していた。
秋・文化祭のとき。
同級生たちと有志で音楽(歌とダンスのユニット)のチームを結成し、文化祭のステージで歌を披露した。
結果、有志では珍しく2位に入賞。
それを観ていた自らバンドを組んでいる男子生徒から「ヴォーカルやらないか?」と声をかけられた。幼稚園の頃の学芸会で友達の母親から褒められた時のような感覚が蘇る。
「歌を習いたい…」
そんな純粋な気持ちがふつふつと湧いてきた。
母親に相談し、高校3年生、卒業間近の2001年1月から恵比寿にある「ヴォイス・トレーナーズ・アカデミー」というスクールに通いだす。
幾多のプロ歌手を輩出し、その世界で有名な大本先生のスクールの門を叩いた。
絢美さんは、再び自分の将来の夢を見つけ出し、母との二人三脚が始まる。
ヴォイストレーニング、歌の個人レッスン、作詞・作曲の勉強、ゴスペル、ギターのレッスン…、スクールで学ぶことは多岐にわたり、音楽の世界での追及に“これで良い”ということは無かった。
青山学院大学に進学してからは毎週3日から4日通い、歌手デビューを夢見る大学生になっていった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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