乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第1話「テレビドラマに出演する小学生」
病院で車椅子に乗った若い女性から「なんで、そんなに元気なんですか」と微笑まれた。
それが、まもなく乳がんで他界する母親からのメッセージのように感じた。
「(私は)自分が元気でいることで、誰かの役に立つことができる…」
3歳の頃から、歌ったり、踊ったりするのが好きだった絢美ちゃん(東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、1987年当時5歳)は、幼稚園の学芸会でお友達のお母さんから誉められた。
「あやみちゃん、声が大きくて良かったよー」
それがきっかけで演劇の世界に興味を持ち、5歳の時に劇団日本児童に入った。
当時、両親と八王子市に住んでいた一人娘の絢美ちゃんは、母親に連れてもらい、毎週国分寺にある教室に通った。
そして“ういろう売り”などの基本から、演劇、ダンス、歌、日本舞踊と様々なジャンルを学ぶ。
劇団にいる子供たちが目指すのは、劇団のマネージャーからオーディションのお声をかけてもらうこと。
なぜなら、テレビ番組の制作会社は作品を演じられる子役候補の紹介を劇団マネージャーに依頼するため、まずは劇団内でオーディションに推薦してもらうことが第1関門なのだ。
しかし、絢美ちゃんには声がかからない。
1年半経っても、なかなか声がかからない。
けなげに思った母親が「あやみ、もう、やめてもいいよ…」そう言うと、なんで?楽しいからやめたくないと返していた。
小学校に上がると、ぼちぼちオーディションの声がかかり出すが、結果は不合格が続く。
毎回悔しがる絢美ちゃんを、母親はいつも優しく励ました。
「大丈夫、次があるから」
小学校2年生、8歳の時、民放の昼間のドラマのオーディションで、ついに合格。
番組のテロップに自分の名前が映し出された時、表現し難い嬉しさを感じた。
評判が良かった絢美ちゃんは、それ以降もオーディションに呼ばれ、合格。
プロフィールの履歴・芸歴が増えることで、次々と仕事が入ってくる。
小学校の友達もクラスメートがテレビに出ていることを自慢のように思ってくれる。
だから、小学校に行くのがもっと楽しくなる。
小学校生活と演劇の世界、幼いながらに忙しい毎日を送っていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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