乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第5話「苦節8年歌手デビュー」
青山学院大学に在学中、ヴォイス・トレーナーズ・アカデミーに通いレッスンを受けていた東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、2007年当時25歳)は、卒業後も歌手デビューを目指し、アルバイトをしながら音楽を学んでいた。
絢美さんは、1日も早く歌手デビューして、両親に報告したかった。
2007年、25歳の夏、定例の音楽プロデューサーを招いての生徒発表会があった。
その発表会から3ヵ月ほどすると、一人の男子生徒と絢美さんの2人が選考に残っていると知らされる。
「もしかして…、今回はイケるかも…」
その後2人一緒にCDデビューさせる案や、どちらか一人の案など、紆余曲折があった。
そして、年が明けて2008年2月、アカデミーの学長から呼ばれこう言われる。
「まず、絢美からいくことになった」
待ちに待った合格の知らせ。
目の前がパーッと開けていくような感じがして、ものすごく嬉しかった。
コロムビア系列の音楽出版会社から5月にCDがリリースされる予定だという。
嬉しさの余り、自分の気持ちをコントロールできなくなりそうだった。
しかし、次の瞬間、ハッとして我に返る。
“これはゴールじゃなくて、スタートだった。それに、こういう話は、最後の最後まで形になってみないと解らない。何より、あと2ヵ月しかない”
それからは忙しい毎日がやってきた。
レコーディングに向け、表現方法、そのためのレッスン、編曲、アレンジに、CDジャケットのデザインの相談と写真撮影、撮影のためにダイエットだってしなくちゃならない。
目が回るような毎日だった。
アカデミーの学長からこう言われた。
「(お世話になってきた)ママのためにデビューするんだよ」
これまで自分一人でやってきたのではなく、周囲の人たちのサポートがあったからこそ続けられた。特に母親からの応援と支えがあったことを忘れてはならない、そう言う意味が込められた言葉だった。
そして、2009年5月20日。
アーティスト、AyamiのシングルCD『愛はまぼろし/ひこうき雲』が発売された。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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