乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第2話「青山学院中等部へ」
5歳の時に劇団日本児童に入った絢美ちゃん(東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、1993年当時11歳)は、その後、テレビドラマに出演する小学生になっていた。
小学校3年生を過ぎたあたりからだ。
ドラマの子役として、次々と声がかかる。
オーディションに行き受かると、次は、番組制作会社との打ち合わせ、衣装合わせ、そしてリハーサル、撮影。
ドラマの撮影が終わると、次のオーディションに行き、合格。
仕事が無いという期間がなくなってくる。
そして、すべての仕事に母親が付き添い娘を支えていた。
母娘二人三脚の毎日。
ドラマ撮影ロケは北海道から沖縄まで、全国を巡った。
親子で日本中を旅する生活が小学校6年生まで続く。
ただ一方…、劇団の中でテレビドラマに出演できる子供は、ほんの一握り。
だから、他の子どもの親たちから様々なやっかみを受けていた。
そんな陰の部分もある世界。
絢美ちゃんの母親は、周囲からの雑音が娘に入らぬよう、細心の気遣いと行動で娘を守っていた。
1993年、浅野ゆう子さん主演『天国に一番近いママ(日本テレビ)』で準主役の子役に抜擢される。
この頃になるとオーディションを通さず監督から指名で仕事が来ることもあった。
街を歩いていると行きかう人から「あー、○○に出ていた子だ」と言われてこともある。
その後も、『天国に一番近いママ2』、『STATION~駅』と大型ドラマでの起用が続いた。
小学校6年生の時、自宅の引越しに伴い中学校受験をし、無事、青山学院中等部に合格。
共演した吉田栄作さんから「合格おめでとう」とプレゼントをもらう小学生だった。
青山学院中等部は、それまでの公立の小学校とは違い、他にも芸能活動をしている生徒がいたので、いい意味で目立つことがなくなり良い環境だった。
部活はハンドボール部に所属し仲間が増えていく。
そして、何より、学校生活そのものが楽しい。
充実した中学生生活が始まった。
ただ、中学に進級してからはオーディションの数も減り、たまに出かけても、なかなか受からない、そんな状況になった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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