乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第13話「右乳房切除術」
2015年11月、乳がん(トリプルネガティブ、ステージ3C)と診断された東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、2016年当時34歳)は、2016年1月より抗がん剤治療(ドセタキセル、FEC)を受けていた。乳がん(ステージ4)の母親は、5月に他界した。
4月から始まった抗がん剤(FEC)治療は、6月28日に最終4クール目の投与が行われ、終了。
結局、右胸の腫瘍は小さくならなかった。
ただ、大きくもならないし、転移も認められない。
医師は外科手術に移ることを決め、オペは8月12日に予定された。
絢美さんと圭介さんは、手術までの1ヵ月弱を利用してハネムーンに出かけた。
旅行先はカナダとアメリカ。
目の前に広がる雄大なグランドキャニオンを見ていたら、自分の悩みがちっぽけに思えた。
帰国し、入院する前の日の夜、大泣きした。
右胸を失ったら、もう2度と元の身体には戻れない…、そんな思いが込み上げてきた。
8月12日、手術は予定通り行われた。
「右乳房切除術+センチネルリンパ節生検」
3時間かかり、無事、終了。
麻酔が切れ意識が戻った時、医師から「悪い所は、ぜんぶ取れたから」と言われ安心した。
病室に戻ったら、急にお腹がすき出し、病院食をぺろりと食べた。
それを見た夫は、ホッと安心して自宅に戻る。
実は、嬉しい知らせがあった。
胸に腫瘍があった時、ずっと胸に痛みがあり、つらく悩ましかった。
しかし、乳房の切除をしたらその痛みがなくなった。
「これほど、楽なのか…」
オペから3日後、ガーゼ交換の時、思い切って自分の胸をみた。
子供の時みたいに胸のふくらみはなかった。
衝撃的だが、よく考えてみればニワトリの卵くらいの腫瘍があった時、既に胸の形がいびつで変だった。
それに右胸が無いことで別に日常生活に困るわけでもない。
片方ないが、前向きな気持ちが湧いてくる。
「これは、新生Ayamiの誕生なんだ」
そう思うと新たな一歩を踏み出せる気がした。
夫が言った「胸があってもなくても、あなたには変わりないんだから。(胸が)なくても、あなたには良い所がいっぱいあるじゃないか」
勇気を出して外科治療を受けた妻への最高の賛美だった。
絢美さんは8月19日に退院した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-