乳がん(トリプルネガティブ)ステージ3 サバイバー 大月絢美さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大月絢美さん 乳がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「テレビドラマに出演する小学生」
- 第2話「青山学院中等部へ」
- 第3話「歌手デビューを目指す」
- 第4話「アルバイトをしながら」
- 第5話「苦節8年歌手デビュー」
- 第6話「母親の乳がん」
- 第7話「30歳を目前に控えて」
- 第8話「右胸のしこり」
- 第9話「乳腺外科へ」
- 第10話「乳がん・トリプルネガティブ」
- 第11話「全身化学療法」
- 第12話「母の他界」
- 第13話「右乳房切除術」
- 第14話「新生Ayamiとして」
第12話「母の他界」
2015年11月、乳がん(トリプルネガティブ、ステージ3C)と診断された東京都目黒区在住の大月絢美さん(35歳、2015年当時33歳)は、2016年1月より抗がん剤治療(ドセタキセル、FEC)を受けていた。乳がん(ステージ4)の母親も、同じ病院で抗がん剤治療を続けていた。
2016年3月、絢美さんの母親は一時退院をする。
翌月の4月12日、圭介さんの母親、圭介さん、そして絢美さんの4人でランチを一緒にした。
間もなく結婚する2人の門出を祝う昼食会で4人とも楽しみにしていた会だった。
みんなが皆、よかった、よかったと喜んでいた。
その日の夜、絢美さんの母親は再び具合が悪くなり3日後に入院となる。
そして、2016年4月26日、病室で意識が戻らなくなった。
強い喪失感。
絢美さんは、もう、どうしたらいいか解らなくなる。
思い返せば、33年間いつも自分のそばに母親がいた。
その母親の意識が戻らなくなった。
4月27日、絢美さんと圭介さんは区役所に婚姻届けを提出し入籍した。
がん治療中の自分…、かつて思い描いていた入籍とは全然違うが、妻になれたことが嬉しかった。
「私は、一生この人を裏切らないぞ。簡単には死なない」
そんなエネルギーが出てくる入籍手続きだった。
5月8日、この年の母の日、病院から今日が山場かもしれないと連絡があり、祖父母と圭介さんらが病院に集まる。
急がなきゃと絢美さんは病院の中を駆け回っていた。
その時…、
車椅子に乗っている女性に声をかけられる。
「お姉さん、なんでそんなに元気なの?」
年齢は20歳前くらいだが、顔色がよくない女性。これから抗がん剤治療を控えているとう彼女は、メイクや帽子、ウィッグのことと矢継ぎ早に絢美さんに質問を投げかけてくる。
それに丁寧に答え、最後にLINEを交換すると、つらそうな彼女が、にっこり笑った。
この時、ハッとした。
まもなく乳がんで他界する母親からのメッセージのように思えたからだ。
「(私は)自分が元気でいることで、誰かの役に立つことができる…」
旅立つ母親から「絢美、いつまでも元気にしていなさい、まだ絢美にはやることがあるよ」そう言われたかのようだった。
その翌朝、母親は祖父母と父親、圭介さんと絢美さんに見守られて帰らぬ人となった。
悲しかった…、でも変な言い方だが、一つの区切りになった。
13日前に意識が戻らなくなってから、毎日が本当につらかった。
それが終わった時でもあった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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