腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「父との死別~新しい家族のかたち」
- 第2話「中学~大学、社会人へ」
- 第3話「右側脇腹の違和感」
- 第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
- 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
- 第6話「手術(根治的腎摘除術)」
- 第7話「開腹止血術」
- 第8話「3回目の外科手術」
- 第9話「リハビリ~退院」
- 第10話「腎臓がんから7年」
第8話「3回目の外科手術」
2011年、腎臓がん(ステージ3)と診断された岐阜県土岐市在住の大東篤史さん(44歳、2011年当時38歳)は、腎臓の腫瘍を摘出する根治的腎摘除術のあと脾臓が破裂する合併症が生じ開腹止血術を受けた。
2011年4月19日 根治的腎摘除術
同年4月20日 開腹止血術
連日外科手術を受けた大東さんは打ちのめされたようになっていた。
夫の容体が落ち着かないので何が起こるか解らないと心配した妻は、パートの仕事を休み、病室に用意されたソファーベッドで泊まり込む。
朝になると夫の寝間着を自宅へ持ち帰り、洗濯・家事を済ませてまた夕方病院へ戻る。
車で片道1時間の距離を毎日通い、身の回りの世話をしてくれる妻。
本当にありがたかった。
しかし大東さんは不安定な状態が続く。
2日連続して開腹手術をしているので腸閉塞を起こす可能性があると言われ慎重な対応。
食欲がなく、重湯ですらなかなか食べられず、やがて吐き気が出始めていた。
2度目の手術から4日後の4月24日。
気が付くと寝間着が、まっ黄色になっていた。
看護師に連絡し医師にも診てもらうと体液がもれているという。
再び皆が慌て出し、車椅子でCT画像検査室に運ばれる。
検査の結果、お腹の傷口が開き、そこに小腸が挟まっているという。
このままでは小腸の一部が壊死しかねず、その場合は命が危ないと説明され、取るべき対応は3回目の外科手術。
「いつまで続くんだ…、もう、どうにでもなれ!どんな手術だって受けてやる」
繰り返し大東さんを襲う試練。
“腎臓がん”も厳しいが、それ以上にがん治療に伴う合併症により命が危ない。
この日急きょ3回目の手術が行われた。
それから…。
みたびICU(集中治療室)に戻った大東さんは絶対安静となる。
ベッドから起き上がることが抑止され、身体からはビニール管がたくさん出ている。
鼻から十二指腸まで届いているイレウス管というチューブが喉の奥に触れると軽い吐き気を起こし気持ち悪くて寝られない。
夜になると「また何か(嫌なことが)起こるんじゃないか…」と不安で仕方がない。
大変な毎日が続いていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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