【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー

腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー
  2. 第1話「父との死別~新しい家族のかたち」
  3. 第2話「中学~大学、社会人へ」
  4. 第3話「右側脇腹の違和感」
  5. 第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
  6. 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
  7. 第6話「手術(根治的腎摘除術)」
  8. 第7話「開腹止血術」
  9. 第8話「3回目の外科手術」
  10. 第9話「リハビリ~退院」
  11. 第10話「腎臓がんから7年」

第1話「父との死別~新しい家族のかたち」

1週間のうちに3回の外科手術。
「いつまで続くんだ。もう、どうにでもなれ」
相次ぐ合併症に心も身体も限界に近かった。

この話は38年前の1980年11月から始まる。
岐阜県土岐市在住の大東篤史さん(44歳)は、この年(1980年)小学校に進級した7歳の子供だった。
あの日、幼い大東さんは、お母さん、弟、そして親戚と一緒に病室にいた。

病室にいる皆が待っているのは手術を受けている37歳の父親。
1年ほど前から胃の調子がおかしいと胃薬を飲んでいた父親。
食べられない、便が出ないとなり入院していた。

既に重い胃がんを患っていたが病名については家族にも知らされない時代だった。

静かな中、親戚の一人が突然「わっー」と泣き出した。
状況がよく解らない大東さんと弟(5歳)は、そばにいた祖父から父親が手術中に息を引き取ったと知らされる。信じがたい内容だった。

大好きなお父さん…。
元気になって家に帰って来るものと思っていたのにまさかの死別。
ただ悲しくて涙があふれた。

それから自宅で通夜が執り行われ大勢の人から声をかけられ、なぐさめられた。
棺の中にいる父親。
まるで寝ているだけで今にも起きて来そうな感じがしたが瞼を開けることはなかった。

わずか7歳で父親と別れる深い悲しみを味わった。

その後、大東家に大きな変化が起きていく。
専業主婦だった母親は家族を支えるために市役所で働き出す。
母方の祖父母はカー用品を販売する自営業を営んでいたが、その店をたたみ、娘の生活支援と孫の世話のために引っ越してきて5人暮らしの生活が始まる。

祖父が幼い大東さん兄弟の父親代わりとなり、新しい家族の形が作られた。

中学を卒業するまでの9年近く、祖父母が娘と孫たちの暮らしを支えてくれた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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