【インタビュー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー

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腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのインタビューです。

※ストーリーをまだ読まれていない場合は先に読まれることをおすすめします。

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目次

基本情報

名前: 大東篤史さん >>5yearsプロフィール
年代: 40代、男性
病名: 腎臓がん
病理: 腎細胞がん
進行: ステージ3
発症年月: 2011年3月
発生時年齢: 38歳
受けた治療: 根治的腎摘除術、開腹止血術、腹壁ヘルニア整復術 
治療期間: 2011年4月~5月
合併症:  脾臓の破裂に伴う出血、腹壁ヘルニア
職業:  会社員 
生命保険会社:住友生命保険

ご自身がお父さんががんで他界された年齢(37歳)に近づいたとき、「もしかしたら自分もがんになるんじゃないか」と不安になられたと伺いました。なせ、そのようなことを感じたのでしょうか?どこか体調で気になったところがあったのでしょうか?

特別体調が悪いなどもなく、健康診断も問題なかったのですが、何となくそういう予感がしたというのか、天国から父が知らせてくれたのかなと思います。

2010年に右側の脇腹に違和感が出ます。違和感とはどのようなものでしょうか?痛いとか突っ張るとか、なにか症状が出ていたのでしょうか?

強い違和感ではないのですが、安静時・寝る前などにシクシクするというかキューと締まるような感じが時々していました。

その後、2011年にCT画像検査で詳しく調べるまでの4~5ヶ月間も違和感があったと伺いました。どれくらいの頻度で出ていたのでしょうか?毎日ですか、それとも2週間に1度くらいでしょうか?

違和感は毎日ではないですが、気にすると感じる感じでしたので、続けば数日続くこともありました。

CT画像検査の結果、「腎臓に腫瘍がある」と医師から言われます。このとき、腫瘍という言葉からがんを思い浮かべましたか?医師は悪性腫瘍の可能性を示唆していたのでしょうか?

やっぱりがんかと思いました。この時は、特に驚いたり絶望感は感じませんでした。医師もがんの可能性があるので、早く精密検査を受けるように言われました。

「右側」の脇腹に違和感があったのに、CTでは「左側」の腫瘍を言われます。これ以降、右側の違和感は無くなったのでしょうか?

右側の違和感は時々ありましたが、がんのことが気になり、またCTで腫瘍がみつかったことと右わき腹には何もないことが分かったので、だんだん気にならなくなってきました。

当時「右側」も詳しく検査してほしいというお気持ちはありましたか?その後、右側の違和感の原因追及はされたのでしょうか?

CTでも右には何もないことが分かったので、原因追及はしていないです。この時は、まず左腎臓を治療せねばとの気持ちのみでした。

詳しい検査の結果、医師から「8~9割の確率で腎臓がん」と言われます。このとき何がつらかったですか?

腫瘍があると言われ、家に帰ってすぐネットで調べていて、ほぼ悪性との情報しかなかったので、覚悟しておりましたし、悪いことを考えても仕方ないので、早く治療し治すことのみ考えていました。

その後検査が続きます。このとき何か症状は出ていたのでしょうか?だるいとか、発熱とか、左側の脇の痛みとかあったのでしょうか?

安静時などに、左の腰あたりに違和感(異物感)を少しずつ感じるようになってきました。

入院の前日に38℃以上の発熱があり感染症だと言われます。何が原因だったとお考えですか?腎臓がんの進行と関係あるのでしょうか?

仕事を片付け引き継ぐため、休日出勤したり残業したりで無理をしていて免疫が落ちていてのどの感染症にかかったのだと思います。がんとは関係ないと思います。

喉が腫れているので腎臓がんの手術中の処置として気道切開するかもしれないと言われます。もしそれが起きるとその後の生活に支障が出るということだったのでしょうか?オペを延期するという選択肢を大東さんとお医者さんはどのように考えていたのでしょうか?

急性喉頭蓋炎の場合、のどがふさがる可能性があるため、気道確保のためのどから酸素吸入するということで、傷跡が多少残るかもしれませんが、その後の生活に支障はないとの説明があったと思います。オペの延期の話は、主治医から数回されましたが、普通にいけば、次のオペ日は早くて一か月後。オペ前日の夜に主治医が来て、2週間後位に無理やりオペ予定を入れようと思うとの話もありましたが、私が強く明日お願いしますと希望しました。日に日に腰の違和感が強くなってきており、がんが大きくなってきている感じがしていたためです。

根治的腎摘除術の翌日、脾臓の破裂に伴い内出血が起こり、急きょ開腹止血術が行われます。大変なことが起きたわけですが、なぜこうなってしまったとお考えですか?医師から原因について説明はありましたか?

外科医が開腹しても出血の場所が見つからず、相当な時間がかかりそうとの説明が家族にあったと聞いています。その後、脾臓の裏側の破裂が見つかり脾臓を摘出し、止血しました。脾臓の破裂の原因は手術前の感染症だったのであろうと思われます。腎摘出中に何かが触れる位置ではなかったようです。

2日間も続けて腹部を切るというのは厳しいと思いますが、どのような不安・怖さを感じていましたか?

麻酔のせいなのか、大量出血のせいなのか、頭がぼーっとしており、「あれ、何か大変な事になっているの?」位の感じで、そのまま、また全身麻酔で寝てしまいました。

開腹止血術の後、「苦しい、痛い」を繰り返され、自殺した方が楽になるのではと一瞬頭をよぎったとのことですが、なぜそこまで痛みが出たのでしょうか?

2日連続の開腹手術なので、1回の場合に比べて倍の痛みが起きているのではというような話を家族と主治医が話していた気がします。

2度目の手術(開腹止血)を終えてICUにいるとき、どのようなことを考えていましたか?

とにかく、早く落ち着いて欲しい(辛さ・痛みが)という願いのみでした。

2度目の手術から4日後、傷口が開きそこに小腸が挟まり、壊死する恐れが出てきました。この時の痛みと体調はいかがでしたか?

痛みはそれほど感じませんでしたが、とにかく気持ち悪く何度も吐いていました。

その後、再び緊急オペが執り行われ3度目の手術となります。でも、前向きに「どんな手術だって受けてやる」と気持ちを切り替えられたのはなぜですか?

最初は、生まれて初めての手術で不安などあり、二回目は良くわからず手術を受け死にそうなほど辛い感覚を味わったので、あれよりひどいことは二度とないだろうと思えました。

3回目の手術のあと、絶対安静となります。「また、何か(悪いことが)起きるんじゃないか」と考え不安だったと伺いました。1週間のうちに3回も外科手術を受けるということは、どういう感じなのでしょうか?

昼間はそうでもないのですが、夜になると、不安感が襲ってきて、なかなか寝られませんでした。ただ、この後は日に日に、血液検査の結果もよくなってきており、日にちと共に落ち着いてきました。

奥様が病院に寝泊まりして看護して心を支えてくれたと伺いました。当時の思い出を教えて頂けますか?

夜、すぐに目が覚めてしまい寝ている妻を何度も起こしてしまいました。歩けるようになってきたときは、病院内を一緒に散歩したり(私はもともと歩くのが早かったので、入院前までは、一緒に歩いていても、いつも置いてきぼりにされる妻が、同じペースで歩けるのがうれしかったそうです(笑))
談話室にあるオセロをしたりで、今までとは違うゆっくりとした時間の流れを感じました。

3回目の手術から3日後に「氷」、5日後に「水」、そして1週間後に重湯(おもゆ)となっていったと伺いました。これは順調だったということでしょうか?当時、食欲は無かったのでしょうか?

腸閉塞の再発を防ぐため、主治医も慎重になっていたようです。全く食欲がない状況が続きました。

この頃、腸閉塞になるリスクが高かったと伺いました。どのような体調だったのでしょうか?教えてください。

3回の開腹手術を行っているため、腸が癒着を起こし、再度の腸閉塞リスクが高い状態だったようです。また、私に食欲が全くなく気持ち悪い(かるい吐き気)状態でした。

入院から1ヶ月後に退院されます。この頃の体調はいかがでしたか?

このころには、足はずいぶんしっかりしており、階段も5階まですんなり登れるくらいになっていました。食欲も少しずつ出てきていました。ただ、絶食状態が続いていたせいなのか、ちょっと食べると胃に詰まるような感覚になっていました。それでも、退院して家に帰りたいと思えるようになっていました。

2011年6月に職場復帰された時は、体重が51kg(入院前は68kg)と減っていたと伺いました。歩くのもフラフラだったのでしょうか?体力と筋力はどのような状態でしたか?

体重が減ったのは、絶食が続いたのと、その後もあまり食べられない状態が続いたからだと思います。手術前ほどの体力はないですが、歩くとフラフラになるようなことはなかったです。ただ、腹筋は相当衰えていたようで、デスクワークで座っていても腹筋がだる痛いような感覚に頻繁になりました。

腎臓がんから半年後、待望の赤ちゃんの知らせが届き、翌年、お嬢様が生まれます。このとき再び「命」ということを考えたと言われました。どのようなことを感じられたのでしょうか?

一歩間違えば、私はこの世にいなかったし、私がいなければ娘もいなかったと思うと、ほんと不思議な感覚でした。また、なかなか子供ができなかったのに、病気のあと子供ができたことも不思議です。妻は、赤ちゃんがこうなることを知っていて、結婚してすぐには来ないで、待っていてくれたと言っていました。

がん治療中にご家族がしてくれたことで感謝していることは何ですか?

妻をはじめ、多くの親族が、片道1時間以上かかるのに、手術の度に病院にきてもらったり、時間があれば何度もお見舞いにきてもらい、身の回りの世話や話し相手になってくれたりで、気分もまぎれ助かりました。

社会復帰してリハビリ・ウォーキングからフルマラソンに挑戦していきます。もし、がんを経験されていなかったら、マラソンなんて始めなかったと思いますか?それとも、がんをしていなかったら、もっと良い自己ベストが出せると思いますか?

がんにならなかったら、走り出していなかったと思います。体を動かすことは身心ともに健康になると思いました。人の生理機能に詳しい人に会うと、腎臓が二つあれば、脾臓があれば(脾臓は血液の貯蔵をしていて、運動時に重要な役割があるそうです)もっと速く走れたみたいな事は言われますが、それで自己ベストを出せていくかは分からないです。
片腎と脾臓がなくなったことで、体が軽量化して速くなった可能性もありますし。

腎臓がんという事実を受け入れることの大変さと精神的に乗り越えていくこと苦労についてお話し頂けますか?

なってしまったことは、もう、もとの状態には戻れないので、このあとどうしていくかのみだと思います。また、人はいつかは死ぬのであり、それが早いか遅いか、分かっているか分からず来るのか。だから、今を一杯受け入れて進んでいくしかないと思います。

治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

辛い時も何度もありましたが、前に進むしかない。そして辛いこと・嫌なことを少しでも楽しいことに置き換えるようにして、辛い・嫌と思わないようにする。

腎臓と脾臓を摘出したことで、どのようなハンディキャップを感じられていますか?それともあまり感じられていませんか?

腎臓がないせいなのか、30km以上の距離を走ると内転筋をつることが非常に多いです。高校のころなどは、ふくらはぎしか攣ったことがなかったので、このあたりは、腎機能の低下で体内のイオンバランスの維持機能が落ちているのかと思います。
また、脾臓がないことにより、免疫機能が弱くなったことも実感しています。

腎臓がんを経験して感じたことは何ですか?

もともとポジティブ思考でしたが、より一層ポジティブになりました。

手術による合併症を2度も経験されて感じたことを教えて頂けますか?

その時は辛かったですが、もうあんなに辛い経験は今後、二度と起こらないはずと、思い、怖いもの知らずになってきたというか、人生に起こるいろいろなことを受け入れ、これからの人生を楽しもうと思えるようになりました。

現在、腎臓がんから7年が経ち、仕事、家族、マラソンととても充実していると伺いました。この7年を振り返りどのように感じていますか?

あっという間ですが、非常にいろいろな経験をして、今までの45年分の人生のほとんどがこの7年に凝縮されているような感じすらします。そのことで、自分の物ごとに対する考え方などが大きく変わり、いろいろなことにチャレンジしたいと思えるようになりました。

がんになって失ったもの、得たものは何ですか?

【得たもの】
1.家族
2.健康
3.ポジティブ思考

【失ったもの】
1.左腎臓
2.脾臓
3.他にはない

大切にしている言葉は何ですか?

とにかく前に進む

現在治療中の方々に伝えたいことを教えてください。

辛い時や・不安な時などもたくさんありますが、今できること(治療もですが、趣味など楽しみも)に一生懸命取り組んでください。後から、あの時ああしていればという後悔の残らないように。

現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいことを教えてください。

状態が悪いときは、特に家族の支えに助けられました。
看護師さんやお医者さんは、やはり他人です。家族がそばにいてもらえるのは、ほんとに助かります。

大東さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことは何ですか?

家族で、いろいろな経験を増やしていきたいです。それは旅行でもいいですが、スポーツ・何かを作るなど、とにかくいろいろな経験を家族で共有できたらいいなと思います。

がん患者がしてはいけないこと(3つ)

  1. タバコ
  2. マイナス思考
  3. 自暴自棄

順番は関係なし

がん患者がするべきこと(3つ)

  1. 何でもポジティブに考える
  2. 体を動かす
  3. 趣味を楽しむ

周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

  1. 回復が早い
  2. アニメ「ドラゴンボール」のスーパーサイヤ人みたい(瀕死状態になり、そこからがんになる前よりパワフルになったので)

周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

特になし

復職する際に大切なこと

  1. リハビリをしっかり行う
  2. できることできないことを、きちんと伝える

当時参考にした本

特になし

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら



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