【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー

腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー
  2. 第1話「父との死別~新しい家族のかたち」
  3. 第2話「中学~大学、社会人へ」
  4. 第3話「右側脇腹の違和感」
  5. 第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
  6. 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
  7. 第6話「手術(根治的腎摘除術)」
  8. 第7話「開腹止血術」
  9. 第8話「3回目の外科手術」
  10. 第9話「リハビリ~退院」
  11. 第10話「腎臓がんから7年」

第10話「腎臓がんから7年」

2011年、腎臓がん(ステージ3)と診断された岐阜県土岐市在住の大東篤史さん(44歳、2011年当時38歳)は、腎臓の腫瘍を摘出する根治的腎摘除術のあと脾臓が破裂する合併症が生じ開腹止血術を受けた。更に小腸の壊死を防ぐための3回目の外科手術が行われ1ヶ月後に退院した。

2011年5月に退院してからは毎日日課のようにウォーキングをした。
自宅のそばに10kmに及ぶ歩行者専用の整備された歩道がある。
朝5時に起きて、たとえ雨の日でも30分くらい散歩して体力と筋力を取り戻そうとした。

6月中旬、職場に復帰。
転職して間もなかった大東さんは仕事的には戦力になっていないので、がんで解雇されるのではないかと心配したが、実際には上司が大東さんの雇用を守り待っていた。
ただ入院前に68kgあった体重は51kgまで減っていた為、復帰して初めての日は職場の人たちが「誰だかわからなかった」と言っていた。
みんなが大東さんの復職を喜んだ。

嬉しいことは続く。
妻におめでたがわかる。
がんになる前から子供が欲しかったが、中々そうならずじれったかった。
しかし、腎臓がんを患い治療を終え退院し、半年後に待望の赤ちゃんお知らせ。
夫婦2人、心から喜んだ。

「がんを経験したけど、生まれてくる赤ちゃんのためにも自分は健康で元気でがんばらなくちゃいけない」
心身に「力」がみなぎっていく。

そして2012年・夏、娘が誕生。

初孫となった妻の両親は大喜び。
一方、息子のがんの知らせから1年半で孫の知らせとなった大東さんの母親も大喜び。
みんな、嬉し涙が止まらなかった。

大東さん自身にも変化が起こり始める。
退院後毎日ウォーキングをしてきたが、2013年1月、走り始めたのだ。
高校の時の友人・知人たちがマラソン大会に参加していると知り、自分も興味を持ったのが走り出した理由だ。
しかし、全然走れない。
すぐにひざが痛くなるし途中で歩いてしまう。
それでも高校で陸上競技を始めた頃の感動が蘇り楽しい。
幸せをかみしめてランニングを始めていた。

2013年3月 日本大正村クロスカントリー(6マイル(約10km))に参加。
20数年ぶりに「大会」と言うものに出た。
スタート時間が近づきランナーたちがスタート地点で立ち並んでいるなかに身を置くと懐かしい高揚感を思い出す。
生きている感じがしていいのだ。
わずか6マイルのレースだったが、幸せを感じる1日になった。

翌月(4月)恵那峡ハーフマラソンに参加。
人生初の21kmのレース。
20kmなんて練習ですら走ったことがなかったが、必死になってくらいついていった。
いつも膝が痛くなるのでロングのスパッツとTシャツという格好で走り、なんと完走タイムは驚異的な「1時間36分」。
自分でも驚いたが、Facebookにアップすると友人たちが「ありえない!」ともっと驚く。

勢いに乗った大東さんは「次はフルマラソン」と決め練習を積み、この年の11月に湘南国際マラソンに参加。
大学生のころ通ったキャンパスのある湘南、バイク通学した国道134号線を走るコース。
その思い出の地に戻り、がんをしたけど初フルマラソン完走、それをやってみたかった。
この日、目標の4時間以内を大きく上回り「3時間26分」。
ゴールした時、万感の思いが立ち込めてきて涙があふれた。

腎臓がんになった時、まだ結婚して1年も経っていなかったのに、父と同じように死んでしまったら残された妻は大変なことになると思った。
歯を食いしばりつらい治療に耐えて乗り越えて社会に戻ったら、可愛い娘が生まれて、また走るようにもなった。
色んな想いがこみ上げてきて泣けた。
がんから1年半、人生初のフルマラソンを思い出の地で完走した日だった。

走り終えた後、妻に電話し嬉しい報告とともにこれまでの感謝の気持ちを伝えた。

それからの大東さんはマラソンでビックリするような成長を遂げていく。
フルマラソン(42.195km)の世界には「サブスリー(=2時間台で完走)」という勲章のようなタイムがある。
全市民ランナーのうちサブスリーで走れる人は、ランナー人口の上位3%、トップランナーだけだ。

2015年3月静岡マラソンで「3時間0分6秒」というタイムで走り、ほぼサブスリーを射程に入れると、11月いびがわマラソンで悲願の「2時間59分」、翌年・翌翌年の静岡マラソンでは、更に自己ベストを更新し「2時間54分15秒」。
東京マラソンの準エリートとして参加できる資格を得るまでになった。
本当にすごいことだ。

腎臓がんから「7年」。
大東さんは家族、仕事、そして趣味のマラソンと充実した毎日を送っている。

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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