腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「父との死別~新しい家族のかたち」
- 第2話「中学~大学、社会人へ」
- 第3話「右側脇腹の違和感」
- 第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
- 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
- 第6話「手術(根治的腎摘除術)」
- 第7話「開腹止血術」
- 第8話「3回目の外科手術」
- 第9話「リハビリ~退院」
- 第10話「腎臓がんから7年」
第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
幼少のころに父親(37歳)を胃がんで亡くした岐阜県土岐市在住の大東篤史さん(44歳、2011年当時38歳)は、自分が父と同じ年齢に近づいたころ左側の腎臓に腫瘍が見つかり、愛知県がんセンター中央病院に移り詳しい検査を受けることになった。
大東さんは1月に転職したばかりだったが、上司に腎臓がんのことを伝えた。
すると上司は未だ試用期間中の部下を守ろうと職場の中で動きだしてくれる。
一方、大東さんはと言えば、連日のように検査を受けていた。
造影剤を使ったMRI検査、骨シンチグラフィー検査、血液検査、造影剤を使ったCT画像検査
しかし、オペ室は予約でいっぱいで手術は2ヶ月以上先の5月下旬となる。
早く治療を受けて目の前の“腎臓がん”を乗り越えたいと思っているのにじれったい想いだった。
でもこればかりは待つしかなかった。
全ての検査を終え1週間後の2011年4月5日、病院から電話がかかってくる。
「オペ室に空きが出ました。2週間後の4月19日に手術ができます。どうされますか?」
思いがけない嬉しい連絡、職場の上司に相談すると「早く手術を受けた方がいい。仕事のことは大丈夫」そう快く送り出された。
翌日が入院という日のことだった。
急に発熱し熱が38℃以上まで上がる。
例の内科クリニックを受診すると喉が赤く腫れあがり感染症を患っているとの診断。
食事がとれない、水も飲めないという体調に変わる。
このとき本当に焦った。
もし感染症が原因でオペがキャンセルされると、手術はここから2~3ヵ月待たねばならない。
その間にがんが進行するのではないかと思うと胸が苦しくなった。
翌日(4月14日)、39℃台の熱があったが妻が運転する車で愛知県がんセンター中央病院に行き、予定通り入院。
“大事な手術の前に、こんなことになるなんて…”
大東さんも主治医もやるせない気持ちになる。
ただ、その後熱が下がり手術前日の4月18日には36.8℃と落ち着く。
しかしまだ喉が腫れているため、オペ中(根治的腎摘除術)に気道切開して呼吸器を取り付けるかもしれないと事前の説明を受けた。
そして手術前の主治医の説明によると「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
画像を観るとゲロタ膜が破れているように見えるので、周囲にがんが転移している可能性が高いと言われた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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