腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「父との死別~新しい家族のかたち」
- 第2話「中学~大学、社会人へ」
- 第3話「右側脇腹の違和感」
- 第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
- 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
- 第6話「手術(根治的腎摘除術)」
- 第7話「開腹止血術」
- 第8話「3回目の外科手術」
- 第9話「リハビリ~退院」
- 第10話「腎臓がんから7年」
第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
幼少のころに父親(37歳)を胃がんで亡くした岐阜県土岐市在住の大東篤史さん(44歳、2011年当時38歳)は、自分が父と同じ年齢に近づいたころ右腹に違和感があった。CT画像検査の結果、左の腎臓に腫瘍が見つかった。
「左の腎臓(じんぞう)に腫瘍がある」
やはり本当に何かあったんだ…、そう思う一方「あれっ?違和感があったのは右側なんだけど左側の腎臓なのか?!」不思議な感じだった。
ただ医師から説明を受けてからは、何となく左側に違和感が出始めるから可笑しなものだと思った。
「あー、やっぱり自分もがんなんだ」
しかし慌てることなく冷静に受け入れ、むしろ早く見つかって良かったと安心する。
その日、妻に状況を伝えたがあまり大きな反応は無かった。
後にわかるが、妻は「良性の腫瘍なんだから、何ともない」そう自分に言い聞かせ努めて動揺しないようにふるまっていた。
翌日(3月18日)さっそく市立総合病院を訪れると3日後にMRI検査を受けることになった。
そしてMRI検査を受けた当日、市立総合病院・泌尿器科の医師からこう言われる。
「画像を観る限り8~9割の確率で“がん”でしょう。腎臓のがんは抗がん剤とか放射線が効きにくいので手術して腫瘍をとるしかないです。ここでやるか、それとも他の病院を希望しますか?」
大東さんは愛知県がんセンター中央病院に紹介状を書いてもらった。
“8~9割の確率で腎臓がん”
この日の夜、近所に住む母親と弟を自宅に呼び事実を伝えた。
夫を胃がんで亡くし大切な息子まで「がん」となれば心が押しつぶされてしまう。
「なんで、あんたまで“がん”になるの…、何が原因なの?」うつむき泣き続ける母親。
大東さんもつらかった。
隣にいる妻は泣いちゃいけないと思い堪える。
そして弟は静かに話を聞いていた。
大東さん家族にとって厳しい日になった。
それから、妻と一緒に愛知県がんセンター中央病院・泌尿器科を訪れた。
名前が呼ばれたので診察室に入ると恰幅の良い50代の男性医師が座っていた。
二人はその医師の説明に集中する。
「画像が鮮明じゃないですが、腫瘍ができていると思います。腎臓にできる腫瘍の大半は悪性なので、これはがんだと思います」
こう説明した上で、今後この病院で最初から全ての検査をやり直すと言われた。
次のページを読む >> 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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