腎臓がん ステージ3 サバイバー 大東篤史さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】大東篤史さん 腎臓がん ステージ3 サバイバー
- 第1話「父との死別~新しい家族のかたち」
- 第2話「中学~大学、社会人へ」
- 第3話「右側脇腹の違和感」
- 第4話「8~9割の確率で腎臓がん」
- 第5話「腎臓がん、ステージ3、T3a N0 M0」
- 第6話「手術(根治的腎摘除術)」
- 第7話「開腹止血術」
- 第8話「3回目の外科手術」
- 第9話「リハビリ~退院」
- 第10話「腎臓がんから7年」
第3話「右側脇腹の違和感」
幼少のころに父親(37歳)を胃がんで亡くした岐阜県土岐市在住の大東篤史さん(44歳、2010年当時37歳)は、その後祖父母と一緒の生活を経て大学進学、結婚と人生の階段を登っていた。
大東さんは健康を意識していたため毎年会社の健康診断を受けてきた。
「問題なし」の報告が続いていたが胃がんで他界した父のことを思い出す。
幼少のころに頭に焼き付いた父のがんだったが、自分が父と同じ年齢になるにつれて気になり始めた。
「もしかしたら、自分もがんになるんじゃないのか…」そんな不安がよぎる。
ただ、かつて“がん”は不治の病みたいだったけど、今の時代は早く見つければ治る病気なんだとも考えた。
そんなことを感じていた2010年・秋、何となく右側の脇腹に違和感を感じる。
心配になり近所の内科クリニックを受診。
診察室に入ると40代の男性医師が座っていた。
淡々と話すタイプの人だ。
さっそく血液検査と超音波検査が行われた。
そして検査結果は問題なし。
何か薬が出されるわけでもなく家に返される。この日はこれだけで終わった。
一方、年が替わり2011年1月、大東さんは地元の事業協同組合に転職する。
それまでと違い、勤務が月曜日から金曜日の仕事になり週末に休める生活になった。
大学卒業後、夜も休日も一生懸命働いてがんばってきたが、家族を持つ身になり長く続けられる仕事に替えた。
転職し健康的な生活に変えていたが、右側の脇腹の違和感はその後も続いていた。
心配なので再びその内科クリニックを受診し検査するが、またも問題なし。
こんなやり取りが3回くらい続いた。
それでも心配する大東さんを見かねた医師は「そんなに気になるなら一度大きな病院でCT検査をやってみますか?」と言う。
2011年3月10日、市立総合病院、CT画像検査の日。
白色のドーナツ状のドームの中をベッドがスライドして人体輪切りのレントゲン写真が撮影できる装置。
大東さんはそのCT画像検査を受けた。
そしてその翌日、3月11日 東日本大震災が発生し大東さんは命について深く考える。
CT画像検査から1週間後の3月17日、例のクリニックに行くと医師が真剣な顔をしてこう言った。
「左の腎臓(じんぞう)に腫瘍があるので、すぐに精密検査を受けてください」
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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