乳がん(硬癌 浸潤がん) ステージ4 サバイバー 比屋根恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】比屋根恵さん 乳がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
- 第2話「転職」
- 第3話「有名な比屋根牧場へ」
- 第4話「好きな仕事だから」
- 第5話「自分の触診で気づいたしこり」
- 第6話「大きくなったしこり」
- 第7話「右乳房の生検」
- 第8話「乳腺の繊維腺腫。良性」
- 第9話「変形する乳房。激しい痛み」
- 第10話「胸水」
- 第11話「胸膜播種」
- 第12話「まるで延命治療」
- 第13話「効果が顕著に出た抗がん剤治療」
- 第14話「セカンドオピニオンと転院」
- 第15話「自分と向き合った2年半」
第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
「もう手遅れなんです」
乳がん、ステージ4
女性の外科医にそう言われた。
確かにあの時、死を覚悟した。
沖縄県石垣市在住の比屋根恵さん(48歳、2009年当時39歳)は、33歳のときに沖縄県の与那国島に移住した。
動物好きな恵さんにとって動物がたくさんいる与那国島は理想的な場所の一つになる。
当時の仕事は与那国空港の空港検査員。
飛行機に乗る乗客が手荷物に禁止されているものを持っていないか搭乗ゲートで検査する仕事だ。
ただ与那国空港は1日に往来する飛行機の便数が極端に少ない。
曜日によっては午前中の1便のみであとは午後何もないこともある。
だから暇で時間を持て余していた。
人口2000人余りの小さな島ではみんなが顔見知りで、島の主な産業の一つが畜産業だった。
ある時、農家から牛の世話を頼まれた比屋根さんは快く引き受ける。
牛は可愛く、やがて牛の世話が楽しくて仕方が無くなる。
牛の畜産農家は大きく二つに分かれる。
母牛の繁殖の世話をし、生まれてきた子牛を生後9ヵ月くらいまで育てたあと売る繁殖農家。
もう一つは、生後9ヵ月くらいの子牛を市場から仕入れて大人の牛にまで育てる肥育農家。
沖縄県の多くの農家が行っているのは前者の繁殖を主業とする農家だ。
恵さんが手伝っていた仕事は母牛への種付け、出産補助、そして子牛の世話といった命にかかわる仕事だった。
とてもやりがいを感じ、一生懸命に農家の仕事を手伝った。
しかし3年後、転勤の辞令がおり石垣市の石垣空港に異動になる。
2007年、37歳の時だった。
次のページを読む >> 第2話「転職」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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