乳がん(硬癌 浸潤がん) ステージ4 サバイバー 比屋根恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】比屋根恵さん 乳がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
- 第2話「転職」
- 第3話「有名な比屋根牧場へ」
- 第4話「好きな仕事だから」
- 第5話「自分の触診で気づいたしこり」
- 第6話「大きくなったしこり」
- 第7話「右乳房の生検」
- 第8話「乳腺の繊維腺腫。良性」
- 第9話「変形する乳房。激しい痛み」
- 第10話「胸水」
- 第11話「胸膜播種」
- 第12話「まるで延命治療」
- 第13話「効果が顕著に出た抗がん剤治療」
- 第14話「セカンドオピニオンと転院」
- 第15話「自分と向き合った2年半」
第12話「まるで延命治療」
2015年に咳と頭痛から沖縄県立八重山病院に救急で運ばれ、肺が真っ白だと言われた沖縄県石垣市在住の比屋根恵さん(48歳、2015年当時45歳)は、その後、新潟県立がんセンター新潟病院に転院し、乳がん、ステージ4を告げられた。
6年前「悪性に変わることはありえない」と言い放った医師を信じた自分、その後、胸に異常が起きているのに病院に行かなかった自分。
「全部、自分がいけないんだ」 恵さんは自分を責めた。
怒り、恐怖、後悔が入り乱れて、ぐちゃぐちゃの気持ちだった。
「胸膜播種」
ネットで調べると5年生存率は非常に低い。
診断後、4~5ヵ月で死に至ると書いてあるウェブサイトもあった。
恵さんの姉と父親は、恵さんの前では暗い顔をしないようにと決めていた。
検査の結果、想像したほど胸水が溜まっておらず、溜まるスピードも遅いと解り、一旦退院。
このまま病院を出られなくなるのではと恐れていた恵さんはホッとする。
1週間後に検査結果を知らされることになった。
そして、その1週間、不思議なことが起こる。
自宅で安静にしていると咳が治まったのだ。体調が改善していくのが自分でも解る。
呼吸が楽になっていくし何もしていないのに良い方向に向かっているのがはっきりと解った。
そして1週間後、再度病院に行くとこう説明される。
乳がん、浸潤がん、ステージ4、ルミナルB、HER2・陰性
40代の女性医師は「もう、手遅れなんですが…」といった上で、抗がん剤(パクリタキセル)治療を始めると説明。
まるで、延命治療のかのようだった。
薬の投与が始まると、さっそく、副作用が現れ体調が悪化した。
恵さんは恐怖心と不安から精神的に不安定になり、家族にあたってしまう。
そして脱毛…、自分は平気だと思っていたが、抜けてくると結構、精神的にきつかった。
周囲の人の目が気になるし、同情されているようで嫌だった。
がん患者としての自分を受け入れられない。
この頃、毎日のように夫の和史さんと電話で話していたが頻繁に口喧嘩をした。
抗がん剤の副作用で情緒不安定だからついつい衝突してしまう。
がんと副作用から行き場のない怒りを夫にぶつけてしまい、申し訳ないと反省した。
夜になると恐怖心が増し眠れない日が続いた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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