中咽頭がん ステージ4 サバイバー 松井雅彦さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松井雅彦さん 中咽頭がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「続く微熱と喉の違和感」
- 第2話「耳鼻科クリニックへ」
- 第3話「がん告知」
- 第4話「食道へのがん転移」
- 第5話「今のうちに食べたいものを」
- 第6話「食道がんの切除手術と胃ろう設置」
- 第7話「放射線治療と抗がん剤治療」
- 第8話「退院。続く厳しい日々」
- 第9話「寛解。その後の日々」
第3話「がん告知」
2015年10月から喉に違和感を感じていた神奈川県逗子市在住の松井雅彦さん(55歳、2015年当時52歳)は、家族と会社同僚にせかされ12月に逗子市の耳鼻科クリニックを訪れる。すると喉が腫れていると言われた。
小学5年生から剣道を習い、32歳まで続け剣道3段の松井さんは、自称「痛みに鈍感」だという。
真夏の暑い時に道着を着て暑中稽古、真冬の寒い時に、はだしで寒稽古。
竹刀が直接肌にあたるのが当たり前で、鍛錬の結果、痛みに鈍感な身体が知らぬ間に出来上がる。
だからか…、この時(2015年)10月から喉の奥が痛かったが、つい12月まで我慢してしまう。
クリニックから処方された炎症を抑える薬を服用し、3日後の12月22日、再びさくらクリニックを訪れる。
炎症がひいた為、ファイバースコープが穴の中を通ると言い、診察が始まった。
すると、女性医師の顔が少しこわばる。
一通り診察を終えると彼女がこう言う。
「極めて悪性の可能性が高い腫瘍があります。大きな病院で診て頂きたいので紹介状を書きます。すぐに行ってください」
“腫瘍”、しかも“悪性”
その二つの言葉から「がんなのかなぁ…、やばいのかなぁ」そう感じる。
さっそく紹介状を書いてもらい電車で30分ほどの横浜南共済病院に向かう。
急がなくては、そんな想いで足を速めた。
一方、妻に電話で知らせた。
妻は唖然として、言っていることの意味が解らないと返していたが、「私も一緒に行く」と来てくれた。
待合室で待つこと1時間、名前が呼ばれ診察室に入ると30代の男性医師が座っていた。
さくらクリニックと同様、ここでもファイバースコープを鼻から入れられた。
ただ違うのは、モニター画面に現れる映像を松井さんも観ることができた。
鼻の奥に入っていくにつれて、ピンク色の洞窟の中に白いモコモコしたものが内壁に付いている。
そして、こう言う。
「ああ、これ、がんですね」
妻も一緒にいる中、驚くほどにあっさりと言われた。
「今から、組織を取ります」と言い、再びファイバースコープを鼻の中に入れ、白いものを切り取った。
「がん」、その告知を受けた日だった。
次のページを読む >> 第4話「食道へのがん転移」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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