【ストーリー】松井雅彦さん 中咽頭がん ステージ4 サバイバー

中咽頭がん ステージ4 サバイバー 松井雅彦さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】松井雅彦さん 中咽頭がん ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「続く微熱と喉の違和感」
  3. 第2話「耳鼻科クリニックへ」
  4. 第3話「がん告知」
  5. 第4話「食道へのがん転移」
  6. 第5話「今のうちに食べたいものを」
  7. 第6話「食道がんの切除手術と胃ろう設置」
  8. 第7話「放射線治療と抗がん剤治療」
  9. 第8話「退院。続く厳しい日々」
  10. 第9話「寛解。その後の日々」

第2話「耳鼻科クリニックへ」

神奈川県逗子市在住の松井雅彦さん(55歳、2015年当時52歳)は、2015年10月から喉に違和感を感じていた。

1986年に大学を卒業した松井さんは、新卒で大手百貨店に就職。
家庭用品の部署に配属される。
百貨店のビジネスは、お中元・お歳暮の時期が最も忙しい。
だから、季節と時期にあわせて全社員が「現場応援」のために振り向けられる。
松井さんも、よく応援に駆り出された。

当時はまだ取引の管理が伝票で行われていたため、お客さんからの注文受注、取引先への発注、納品・配送手続きと、すべて手作業で現場はいつも大変だった。
配置転換が数年おきにあり、松井さんは、その後ギフトセンター部門に異動、福岡にも転勤した。

2006年、42歳の時、大学時代の友人の母親からの紹介で4歳年下の女性と結婚。
披露宴には両家の親族と友人たち80名以上が集まり祝福される。
その後、妻の実家を建て直す際に、妻の両親と同居する4人家族の家を逗子市に建てた。

その逗子市にある耳鼻咽喉科病院さくらクリニックに行こうと思うが、ハイテク管理で病院内の待ち患者数がインターネット上に表れる。
百貨店勤務のため、松井さんは水曜日と日曜日が休みだったが、平日、家に居るとき、病院に行こうとしてさくらクリニックのウェブサイトを観るが「いま、12人待ちです」とか表示されると「そんなに待つのか。じゃあ、来週でいいや」と先送りを続けた。

やがて、妻から「早く(病院に)行ったほうがいいんじゃない」と言われ、さらに首が浮腫(むく)んでいると指摘した同僚からもプッシュされ、2015年12月19日についに病院に行く。
名前が呼ばれ、診察室に入ると40代の女性医師が座っていた。
テキパキとしている人だ。

さっそく鼻の穴からファイバースコープを入れて首元まで診ていく。
すると…、

「喉の炎症と腫れがひどくて見ることができません。今日は、腫れをひかせる薬を処方しますので3日後に、もう一度来てください」
そう言われた。

この時は「ああ、喉が腫れているんだな」その程度にとらえた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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