【ストーリー】山本めぐみさん 悪性リンパ腫 ステージ4 サバイバー

悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫と濾胞性リンパ腫の混合リンパ腫) ステージ4 サバイバー 山本めぐみさんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】山本めぐみさん 悪性リンパ腫 ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「腹部内の異物感」
  3. 第2話「大きくなるウェスト、左耳後ろの違和感」
  4. 第3話「病院へ」
  5. 第4話「消化器系か、婦人科、リンパのいずれか」
  6. 第5話「悪性リンパ腫でしょう」
  7. 第6話「日に日に悪化する体調」
  8. 第7話「病理検査の結果」
  9. 第8話「抗がん剤治療と副作用」
  10. 第9話「R-CHOP療法」
  11. 第10話「先に待つ3つの選択肢」
  12. 第11話「寛解」
  13. 第12話「間もなく、がんから2年」

第7話「病理検査の結果」

金沢大学附属病院の血液内科を受診した石川県金沢市在住の山本めぐみさん(43歳、2015年当時41歳)は、悪性リンパ腫の可能性が高いとして、耳の後ろの腫瘤の生検を受けたが上手くいかず、2回目の生検を受けた。体調は悪化の一途をたどっていた。

2回目の生検を行った翌日、主治医から説明があると言うので、みんなが集まった。
カンファレンスの部屋には、山本さんの他にご主人、母親、義理の姉、母親の弟、そして2人の医師と看護師1名。
大勢が集まっていた。
主治医から病理検査の最終的な結果はまだ出ていないが、恐らく「B細胞型、悪性リンパ腫」と伝えられる。
更に、状態が悪いから見切り発車的に抗がん剤(CHOP)治療を始めると説明された。
体調は最悪で、かなりしんどい。
15分も椅子に座っていられないほどだ。
山本さんは「自分は助からないだろうな」そう感じていた。
死ぬのは仕方がないが、死ぬときに苦しむのは嫌だ…、そんな心境なのだ。
主治医からの説明のあと、みんなで病室に戻ったが、家族・親戚4人には悲壮感が漂っている。

目を潤ませ「ぜったいに治るから」そう言う母親。
親戚からも「治るから、がんばろうよ」と励まされる。

そう言われても嬉しくないし、嫌でもない。
ただ、身体的に限界だった。
ベッドの隣にある冷蔵庫までの3歩すら歩けないのだから。

翌日7月17日、いよいよ抗がん剤(CHOP)療法が始まった。
投与された薬は、「C」シクロホスファミド、「H」ドキソルビジン、「O」ビンクリスチン、「P」プレドニン。

首に付けられたCVカテーテルから抗がん剤が入れられた。
既にがんで体調が悪いから、抗がん剤の副作用の気持ち悪さとか、しんどさがよく解らないほどだった。
この日、胸水を1.3リットル抜いた。
3週間を1クールとするCHOP療法が始まった日だった。

それから…、母親は毎日病院に見舞いにきて世話をしてくれた。
夫も2日に一度は顔を見せてくれて、2歳の息子は週に1回の頻度で来てくれた。
愛知県で一人暮らしをしていた夫の母親が金沢に来て、夫と息子の世話をしてくれる。
みんなが山本さんの入院生活を支えていた。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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