【ストーリー】山本めぐみさん 悪性リンパ腫 ステージ4 サバイバー

悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫と濾胞性リンパ腫の混合リンパ腫) ステージ4 サバイバー 山本めぐみさんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】山本めぐみさん 悪性リンパ腫 ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「腹部内の異物感」
  3. 第2話「大きくなるウェスト、左耳後ろの違和感」
  4. 第3話「病院へ」
  5. 第4話「消化器系か、婦人科、リンパのいずれか」
  6. 第5話「悪性リンパ腫でしょう」
  7. 第6話「日に日に悪化する体調」
  8. 第7話「病理検査の結果」
  9. 第8話「抗がん剤治療と副作用」
  10. 第9話「R-CHOP療法」
  11. 第10話「先に待つ3つの選択肢」
  12. 第11話「寛解」
  13. 第12話「間もなく、がんから2年」

第12話「間もなく、がんから2年」

2015年、悪性リンパ腫(ステージ4、ホジキンリンパ腫と濾胞性(ろほうせい)リンパ腫の混合リンパ腫)と解かり、R-CHOP療法を4クールまで受けていた石川県金沢市在住の山本めぐみさん(43歳、2015年当時41歳)は、PET検査の結果、寛解を告げられる。信じられない気持ちだった。

ただ慎重な医師は継続治療を勧める。
濾胞性リンパ腫は化学療法でいったん小さくなっても、その後再発しやすいことが特徴だという。
再発の可能性を遅らせるという考え方のもと主治医から推奨された。
11月19日、26日とリツキサン単剤の投与。その後、8週間に一度のペースでリツキサンを合計12回投与する維持療法が提案されたのだ。
山本さんはそれを受け入れる。

2016年、年が明けて1月22日、職場に復帰。
午前だけの半日勤務だが、復職した。
税理士の上司も職場の同僚たちも心から喜び祝ってくれた。

悪性リンパ腫の病理が確定していない、あのじれったい頃、まさかこうしてここに戻れるとは想像できなかった。
一度は失いかけたものをどんどん取り戻していく毎日。
復帰後しばらくの間は、半日出勤をつづけ、3月21日からフルタイムの勤務となる。

そして2017年9月。
まもなく、がんから2年という日を迎える。
インターネット検索をすると、悪性リンパ腫の場合、再発率が高いとある。
でも、山本さんは再発が無く2年の目前まで来た。

持ち前の「なるようにしかならない」という信条が山本さんの心の安定を生んでいる。

8週間に一度、リツキサンを投与する維持療法は11回目になった。
全12回のうちの11回をやり遂げたのだ。
この維持療法が終われば、(再発の有無をみていく)経過観察に移る。

息子も4歳になった。
まだまだかわいい盛り。
がん発病当時、2歳で母親のいない子になってしまうのではないかと危惧したが、杞憂だった。

山本さんは税理士の資格取得に向けて勉強した時期がある。

税理士になるには、5科目の合格を要するが、すでに4科目の合格を取得している。
残り1科目が取れれば、晴れて税理士への道が開ける。
いつなれるか解らないが、決してあきらめてはいない。

子育て、仕事、家事…、
忙しいママは、今日もかけがえのない日常を過ごしている。

>>山本めぐみさんの「インタビュー」はこちら

>>山本めぐみさんの「がん経済」はこちら

取材:大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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