悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫と濾胞性リンパ腫の混合リンパ腫) ステージ4 サバイバー 山本めぐみさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】山本めぐみさん 悪性リンパ腫 ステージ4 サバイバー
- 第1話「腹部内の異物感」
- 第2話「大きくなるウェスト、左耳後ろの違和感」
- 第3話「病院へ」
- 第4話「消化器系か、婦人科、リンパのいずれか」
- 第5話「悪性リンパ腫でしょう」
- 第6話「日に日に悪化する体調」
- 第7話「病理検査の結果」
- 第8話「抗がん剤治療と副作用」
- 第9話「R-CHOP療法」
- 第10話「先に待つ3つの選択肢」
- 第11話「寛解」
- 第12話「間もなく、がんから2年」
第6話「日に日に悪化する体調」
金沢大学附属病院の血液内科を受診した石川県金沢市在住の山本めぐみさん(43歳、2015年当時41歳)は、悪性リンパ腫の可能性が高いとして、2015年6月29日に耳の後ろの腫瘤の生検を受けた。体調は悪化の一途をたどっていた。
リビングのソファーで横になったときお腹に反発するもの見つけてから2ヵ月近くになっていた。
体調は日に日に悪化して、だるくて、しんどい。
妊婦のように腫れあがったお腹で、息をするのもやっとなのだ。
7月6日、生検の結果を聞くために、母親、そして血液内科医である義理の兄嫁と一緒に受診。
すると…、まだ病理組織を確定することができておらず、もう1回生検を行いたいと医師に言われる。
正直、落胆した。
体調が悪いのに未だに病理が確定しないじれったさ。
“自分は次の生検まで、生きているのだろうか…”、あまりの厳しさから山本さんはそんなことを思う。
病気がどんどん進行しているのに一向に治療が始まらない。
お腹周りはさらに大きくなり一日中、苦しい。
とても2歳の活発な息子を抱っこするなんてできない。
だから1人で実家に移り、ご主人に息子の世話を任せていた。
山本さんのご主人は「どうしよう、どうしよう…」という感じで妻の具合のことを案じていた。
その週の金曜日、いつものだるさに加えて呼吸が苦しくなってきたので急きょ病院に行く。
レントゲン撮影の結果、右の肺の半分に胸水が溜まっていると言われた。
ここにきて急速に悪化していた。
その夜、主治医から電話があり、週明けの月曜日にベッドが空くので入院して欲しいと言われる。
あまりの息苦しさから横になって寝ることもできないほどだった。
そして予定通り7月13日月曜日、入院。
さっそく胸水を抜く。
背中から長い針を刺し、胸にたまった水を出すのだが、驚いたことに1.1リットルも出てきた。
この頃、鏡で見ると身体の色んな所にぶつぶつした腫瘤が出ていた。
悪性リンパ腫には40以上の種類があるため、まず生検して病理を確定しないと、どの抗がん剤を使えばよいのか解らないのだと言う。
体調が悪化するなか、7月15日に2回目の生検。
今度は右の首の付け根から採取された。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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