悪性リンパ腫(ホジキンリンパ腫と濾胞性リンパ腫の混合リンパ腫) ステージ4 サバイバー 山本めぐみさんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】山本めぐみさん 悪性リンパ腫 ステージ4 サバイバー
- 第1話「腹部内の異物感」
- 第2話「大きくなるウェスト、左耳後ろの違和感」
- 第3話「病院へ」
- 第4話「消化器系か、婦人科、リンパのいずれか」
- 第5話「悪性リンパ腫でしょう」
- 第6話「日に日に悪化する体調」
- 第7話「病理検査の結果」
- 第8話「抗がん剤治療と副作用」
- 第9話「R-CHOP療法」
- 第10話「先に待つ3つの選択肢」
- 第11話「寛解」
- 第12話「間もなく、がんから2年」
第9話「R-CHOP療法」
2度目の生検の結果、悪性リンパ腫(ステージ4、ホジキンリンパ腫と濾胞性(ろほうせい)リンパ腫の混合リンパ腫)と解った石川県金沢市在住の山本めぐみさん(43歳、2015年当時41歳)は、抗がん剤(R-CHOP)療法を受けていた。ひどい体調の中、一日一日を乗り越えていた。
2015年8月中旬
R-CHOP療法が始まって約1ヵ月が経った頃だ。
山本さんの状態は落ち着き始めていた。
うれしいニュースとしては、何と言っても胸水と腹水の量が減っていた。
ただ主治医の30代の女性医師は「腹水と胸水は減っているので、抗がん剤が効いていないわけではないけれど、効いているとは言えない状態です」そんな表現を使う。
なぜなら通常悪性リンパ腫は最初の抗がん剤で腫瘍がぐっと小さくなるのだと言う。
おなかのリンパ腫が軽微な縮小という状態は「抗がん剤が効いていない」と判断しうるからだと説明された。
山本さんは腹痛で意識を失い倒れてから食事制限を受けて絶食状態にある。
水分とポカリスウェットの補給くらいで固形の食事をとれていない。
このような状態が長期間続くと腸の消化・吸収能力が低下する恐れがある。
今後、食事を摂る前準備として8月17日からGFOが開始された。
その4日後に流動食に切り替えてみたが、8月24日には再び絶食となる。
R-CHOPの治療効果については、依然として不明確で一進一退のような状態が続いていた。
つまり、予断を許さない状況だった。
8月26日、山本さんは金沢大学附属病院を退院する。
恵寿金沢病院に移ったのだ。
これは何か問題があったわけではなく、最初の急性期の時、金沢大学附属病院で対応するが病状が落ち着いてくると他の医療施設に移ることが通常行われていたからだ。
その恵寿金沢病院では、当時入院患者の多くが悪性リンパ腫の患者だった。
転院した翌日、R-CHOPの第3クールが開始された。
そして病院を移ってからは、医師の方針が変わり何か食べたいものがあれば何でも食べてよいと成る。だから、プリン半分から始まり、少しずつ食べられるようになる。
食事は、少しいい感じになってきていた。
8月29日には、外出することも許される。
体力を取り戻すため、そして気分転換を兼ねて医師から勧められた外出だ。
実家でオムライスを食べ、こんなことまでできるようになったと喜ぶ。
暑い8月が終わり、季節は9月に入っていた。
この頃、それまで点滴を受けてきた首のCVカテーテルを抜かれた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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