乳がん(硬癌 浸潤がん) ステージ4 サバイバー 比屋根恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】比屋根恵さん 乳がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
- 第2話「転職」
- 第3話「有名な比屋根牧場へ」
- 第4話「好きな仕事だから」
- 第5話「自分の触診で気づいたしこり」
- 第6話「大きくなったしこり」
- 第7話「右乳房の生検」
- 第8話「乳腺の繊維腺腫。良性」
- 第9話「変形する乳房。激しい痛み」
- 第10話「胸水」
- 第11話「胸膜播種」
- 第12話「まるで延命治療」
- 第13話「効果が顕著に出た抗がん剤治療」
- 第14話「セカンドオピニオンと転院」
- 第15話「自分と向き合った2年半」
第7話「右乳房の生検」
比屋根牧場に嫁ぎ、毎日牛の世話で朝から晩まで大忙しの生活を過ごしていた沖縄県石垣市在住の比屋根恵さん(48歳、2009年当時39歳)は、2009年の春、テレビ番組を観て自分の右胸にしこりがあることに気づいていた。そして2010年夏に病院を訪れる。
和史さんに伝えると…「確かにあるね。検査してみてもらった方がいいかもね」そう言われたが、あまり関心はないようだった。
石垣島にある当時の“かりゆし病院”には、毎週2回の頻度で沖縄本島から乳腺外科医が来て診察していた。
恵さんは、あらかじめその外来の日を予約して病院を訪れマンモグラフィーと超音波検査を受けた。
担当したのは眼鏡をかけた20代の若い研修医。
「確かにありますね。でもこれが良性なのか、悪性なのか、まだこの段階ではわかりません。生検して詳しく調べましょう」
1週間後に生検を行うことになった。
もしかしたら悪性かもしれないと思うと心の中がざわざわした。
もう逃げられないような気持ちになっていく。
翌週、かりゆし病院には大勢の医師がいた。若い人が5人、中堅の医師が一人。
恵さんは言われるままにベッドの上で横になり局所麻酔を受けた。
生検を担当したのは若い女性の医師。
中堅の男性医師から指導を受けながら生検の準備を進めている。
不慣れな雰囲気から、恵さんは「大丈夫なのかな…」そんな不安を感じた。
やがて右の胸でパチン、パチンと言う大きな音がした。
ガスレンジで点火する時の音の10倍くらいのすごい音だった。
この日、無事に右乳房の生検が終わり、後日検査結果が伝えられることになった。
はたして、その結果はというと…。
「現段階では良性とも、悪性とも判断がつきません。グレーゾーンなので半年後にもう1回検査をしましょう」
そういうことになった。
生検までしたのに判断がつかない…。グレーゾーン?
半年先の予約を入れられたものの恵さんは釈然としない。
だから新潟県の実家近くに住んでいる看護師の姉に連絡した。
相談した結果、半年後の再検査を待たず、新潟県の病院で診察してもらうことにする。
2010年・秋のことだった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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