乳がん(硬癌 浸潤がん) ステージ4 サバイバー 比屋根恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】比屋根恵さん 乳がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
- 第2話「転職」
- 第3話「有名な比屋根牧場へ」
- 第4話「好きな仕事だから」
- 第5話「自分の触診で気づいたしこり」
- 第6話「大きくなったしこり」
- 第7話「右乳房の生検」
- 第8話「乳腺の繊維腺腫。良性」
- 第9話「変形する乳房。激しい痛み」
- 第10話「胸水」
- 第11話「胸膜播種」
- 第12話「まるで延命治療」
- 第13話「効果が顕著に出た抗がん剤治療」
- 第14話「セカンドオピニオンと転院」
- 第15話「自分と向き合った2年半」
第3話「有名な比屋根牧場へ」
空港検査員の仕事で石垣島に転勤になった沖縄県石垣市在住の比屋根恵さん(48歳、2009年当時39歳)は、動物病院に転職し獣医師が経営する牛の繁殖牧場でも働き始めた。
離島での農業と暮らしは、都会の感覚ではとても理解できないことばかりだ。
農家で手伝いをする場合、きちっとした就労の契約があるわけではない。
恵さんが畜産農家を手伝っても時間給が決められていてその時間に応じた給料が支払われるわけではない。
金銭の代わりに野菜とか果物をもらい受ける場合もあるし、ただお礼を言われて終わる場合もある。
また恒久的に人手不足、嫁不足の社会と職種のため、結婚を家業の継続のためにひつような労働力確保のようにとらえている農家すらあるという。
恵さんは父と息子で経営している比屋根牧場を訪れた。
立派な牛を育てる畜産農家として有名な牧場だったので仕事のやり方を勉強したかったのだ。
会ったことも無ければ、見かけたことも無い牧場主だったが、恵さんが手伝いながら勉強したいと言うと快諾してくれた。
比屋根牧場も人手不足でお手伝いを募集していた。
理想に近い畜産業を間近で学べることに喜びを感じた。
行くと朝から晩まで一生懸命に働く息子・和史さんと彼の牛に対する熱意に心を打たれる。
命を懸けて仕事をしているさまには圧倒された。
これまで手伝ってきた農家とは比べ物にならないほど手の込んだ大変な作業をたった2人でこなしている事実に驚く。
年老いた父親と和史さんの生活と人生をみて感動する一方、こんな大変な作業を二人だけで続けていたらいつか無理がくるだろうと感じた。
そんなある日、恵さんは動物病院での仕事中に“ねこひっかき病”に感染し10日間入院する。
入院病棟での時間はこれまでの自分を振り返り、今後の人生を考えるきっかけになった。
新潟県の実家に戻ることも考えたが、むしろここだと思える理想の比屋根牧場で働きたいと言う思いが強くなる。
退院して間もなくして恵さんは動物病院の院長と相談し、獣医師が経営する繁殖牧場と比屋根牧場を両立して働くようになった。
2007年秋のことだった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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