乳がん(硬癌 浸潤がん) ステージ4 サバイバー 比屋根恵さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】比屋根恵さん 乳がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「空港検査員と畜産農家の仕事」
- 第2話「転職」
- 第3話「有名な比屋根牧場へ」
- 第4話「好きな仕事だから」
- 第5話「自分の触診で気づいたしこり」
- 第6話「大きくなったしこり」
- 第7話「右乳房の生検」
- 第8話「乳腺の繊維腺腫。良性」
- 第9話「変形する乳房。激しい痛み」
- 第10話「胸水」
- 第11話「胸膜播種」
- 第12話「まるで延命治療」
- 第13話「効果が顕著に出た抗がん剤治療」
- 第14話「セカンドオピニオンと転院」
- 第15話「自分と向き合った2年半」
第10話「胸水」
2009年に右胸の乳房にしこりをみつけ、翌2010年に生検を受けたが良性か悪性か判断がつかないと言われ、新潟県の病院を受診した沖縄県石垣市在住の比屋根恵さん(48歳、2010年当時40歳)は、ベテラン医師に乳腺腺腫で悪性に変わることは無いと言われ安心する。しかし時間が経つにつれしこりは増え、胸の形が変わり、激痛も生じた。
2015年、この年は年明けから咳が出始めなかなか止まらない。
しかし、喉が腫れるわけでもなく、鼻水も出ない。カラ咳が出るだけだ。
咳が止まらず息苦しくなる時もあり「これ、なんだろう…」と気になっていた。
2015年2月14日土曜日、子牛の競(せ)りの日だった。
市場で無事に競りを終えてほっとしたら今まで感じたことの無いような頭痛がする。
絞めつけられるような強い痛みだった。
このままじゃ倒れてしまうと思い、車に戻り中で横になっていた。
そこに夫の和史さんが戻ってきて慌てる。
救急で沖縄県立八重山病院に連れていってもらった。
病院で診察を待つ間に眼が開けられなくなる。
歩けないから車椅子に座り待っていると医師がやってきて、くも膜下出血か脳梗塞の疑いがあると言われCT画像検査を受けた。
痛み止めの点滴をしてもらいながら待合室の畳で横になっていた。
和史さんと医師が話している声が聞こえたが、どうやら“くも膜下出血”ではないと言う。
やがて、1時間ほどしたら眼が明けられるようになり医師と話した。
「先生、1ヶ月ほど前から咳が止まらないんですけど…」
ただこの日は土曜日で十分な診療体制が整っていないから月曜日にまた来てほしいと言われる。
自宅に戻ったが、具合は一向に良くならない。咳が止まらなくて息苦しいのだ。
だから次の日、日曜日だったが再び八重山病院を訪れた。
胸部のレントゲン写真を撮影し診察室に戻ると、医師の顔が歪んでいた。
「比屋根さん、右の肺が真っ白です。こんなに胸水が溜まっているのはおかしいですよ」
そういうと医師は深刻な顔をしたまま黙ってしまった。
そこへレントゲン技師から連絡が入り、ただならぬ雰囲気になっていく。
「なにか、思い当たることはありませんか?」
恵さんは医師に右の乳房にしこりがあることを伝えた。
医師は驚いて診察し、自分が知っている知識の中で考えても相当に深刻な状態で、この病院では治療ができないと言う。
取り敢えず、検査のために胸水を抜くことになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
>>NPO法人5yearsの組織概要はこちら
-Sponsored-