卵管癌(漿液性腺癌) ステージ3c サバイバー 柳沼明日香さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】柳沼明日香さん 卵管癌 ステージ3 サバイバー
- 第1話「2人目の赤ちゃん」
- 第2話「腹部の腫れと違和感」
- 第3話「卵巣の腫れ」
- 第4話「東京慈恵会医科大学附属病院へ」
- 第5話「超音波検査を受けて」
- 第6話「高い腫瘍マーカーの値」
- 第7話「がん治療のために勧められた中絶」
- 第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
- 第9話「中絶手術」
- 第10話「卵巣の腫瘍摘出手術」
- 第11話「自宅での外泊」
- 第12話「抗がん剤治療」
- 第13話「通院治療と復職へ」
- 第14話「シンプルに、そして1日1日を丁寧に」
第8話「今まで経験したことがないつらいこと」
身体の異変に気付き産婦人科病院でついでに診てもらったところ卵巣が腫れているとして東京慈恵会医科大学附属病院で詳しく検査された東京都大田区在住の柳沼明日香さん(37歳、2015年当時35歳)は、悪性の可能性を告げられる。そして中絶手術を勧められ受け入れた。
静岡の母親とは毎日のように電話で話した。
「大丈夫。まずは病気が見つかったこと、良い病院と良い先生に出会えて繋がった今にまず感謝していこう」
娘に重い病気が見つかり母親もつらかったはずだ。
しかし、努めて明るく前向きな言葉をかけていた。
2月18日、病院に行くと担当医から今後のスケジュールが提案された。
それは二日後に中絶手術、そして、3月5日に腫瘍の摘出手術。
どちらもオペ室の空き状況等から選び一番早いタイミングだった。
いずれも大切な日になる。
入院のスケジュールが決まったので、職場の上司や同僚に状況と今後の予定を報告した。
悪性腫瘍の可能性があることは、すでに頭出ししてあったが、ことの次第を説明するとさすがに驚いていた。
妊娠という知らせを受けたあと、中絶、悪性腫瘍の可能性という非情な現実に誰もが言葉を失う。
柳沼さんは治療を受けるための療養休暇について了解してもらい、その手続きをした。
この先どのくらいの期間、会社を休むことになるのか?この時点ではまったく想像できなかった。
短い期間でまた復職できる、そう信じたかった。
そして中絶手術の前日。
夫と一緒にお腹の赤ちゃんに「ごめんね」と「ありがとう」を言おうとなり、お腹をさすって対話した。
この子は、私に病気のことを命がけで教えてくれた。
柳沼さんとご主人は涙が止まらなかった。
こんなつらいことは今まで経験したことがない。
赤ちゃんの生きた証は、産科の医師が撮影した超音波(エコー)の写真のみ。
でもこれがあって良かった。
柳沼さんの宝物のような写真で大切な画像となる。
ご主人は涙でぐしょぐしょになりながら語りかけていた。
赤ちゃん…、ごめんね、でも本当にありがとう…。
次のページを読む >> 第9話「中絶手術」この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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