【インタビュー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー

    肺がん(肺腺がん) ステージ4 サバイバー 長谷川一男さんのインタビューです。

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    目次

    基本情報

    名前: 長谷川一男さん >>5yearsプロフィール
    年代: 40代、男性
    病名: 肺がん(肺腺がん)
    病理: 腺がん
    進行: ステージ4
    発症年月: 2010年2月
    発生時年齢: 39歳
    受けた治療: 抗がん剤治療(アリムタ、シスプラチン、カルボプラチン、TS-1、ドセタキセル、アバスチン、ナベルビン、タルセバ)、陽子線治療、重粒子線治療、右肺全摘手術、樹状細胞療法(先進医療)
        
    治療期間: 8年
    合併症: 膿胸、気管支断端ろう
    職業: NPO法人理事長
    生命保険会社: 東京海上日動あんしん生命保険

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    フリーのディレクターになられてからも、意識して人間ドック、健康診断を受けられてきたと伺いました。どのような頻度でどんな検診を受けられたのでしょうか?胸部のレントゲン検査も含まれていましたか?

    37歳以降、毎年です。レントゲン検査も含まれていました。

    2010年2月から咳と熱が出て、近所のクリニックで診てもらいます。その際、胸部レントゲン写真の撮影は無かったのでしょうか?

    無かったです。

    右半身、首から肩にかけて盛り上がっているのを見つけます。咳が出始めてからどれくらいの期間でその症状が出ましたか?それとも気づかなかっただけで、咳が出始めた時にはそうなっていたとお考えですか?

    2週間くらいだったと思います。

    2010年2月25日、奥さまの運転する車でみなと赤十字病院の救急外来に行かれます。当時の体調はどのような状態だったのでしょうか?

    熱が38度以上あり、しゃべるなど刺激があればすぐに咳が出ていました。座っているのもつらくて待合室でも横になっているという状態で、とても具合が悪かったです。

    CT検査で詳しく調べられるときに、「これは、がんではないか?」と考え始めたと伺いました。なぜ、具体的にがんを疑ったのでしょうか?お父さまの肺がんの経験からでしょうか?

    最悪の診断というと「がん」しか思いつきませんでした。
    かつて、父が肺がんを患ったため、そのことが思いだされた影響といわれればそうかもしれません。

    【5点ほど、お父さまの肺がんに関してご質問させてください】

    お父様は、健康診断を受けられていたのでしょうか?

    通常の健康診断を受けていたかどうか、わかりません。
    がん検診に関しては、受けていないと思います。
    父は、かかりつけの医師に定期的にみてもらっていましたが、肺がんを見つけられなかったようです。

    お父様が、肺がん(扁平上皮がん、ステージ4)を発症した当時のご様子をわかる範囲で教えて頂けますか。どうやって肺がんが見つかったのでしょうか?

    腰が痛くてつらそうでした。かかりつけ病院ではなく、大きな病院にいってから肺がんとわかりました。

    父親が肺がんを患っていると知った時のお気持ちを教えてください。

    知識がありませんので、混乱した状態でした。父や母もわからないので不安が高まっていました。しかし、父は前向きに闘病することを決意していましたので、混乱しながらも、不安定ではなかったです。

    お父様は、当時、どのような治療を受けていたのでしょうか?

    肺がんの標準治療です。

    肺がんにより、父親が他界するということを、長谷川さんはどのように受け止められましたか?

    父の場合、たばこが原因の肺がんです。父は、なぜもっと早くたばこの害を言ってくれなかったのか、といっていました。その通りという気持ちと、いや、害は前からわかっていただろうという気持ちと2つあり、心の整理はついていません。つけるつもりもありません。
    父は自身が興味ある仏教の本を読み、心を落ち着けようとしていたことも記憶に残っています。

    【ここから、再び、長谷川さんのことについてご質問させてください】

    救急で診察され、別室でCT画像を男性医師とみて「がんの可能性が高い」と言われた時のお気持ちを教えてください。

    超緊張状態でした。どうなってしまうのかわからない・・・そんな思考がぐるぐる同じところを回っただけです。ただ、病名がわからず悶々とする状態がないのは、振り返るととても良い状態でした。本当はわかっているのにわからないで時が過ぎる、という一番いやな状態を抜けることはできています。だからといって何も解決していないですが。

    長谷川さんが感じられた「坂道を下っている感じ」について、教えて頂けますか?

    診断から治療の選択までが一度に決まるわけではなく、徐々にわかっていきます。
    そのときに、いわゆる良い方向と悪い方向があり、悪い方の結果が出続けたということを、「坂道を下っている感じ」という言葉で表現しました。

    入院とがん告知により、生活が変わります。テレビ局や制作会社へは、どなたがどうやってご連絡したのでしょうか?その際の先方の反応はいかがでしたか?

    妻が連絡しました。
    ただ、治療が始まる前に連絡していますので、確定診断ではないという表現で周囲の人たちは混乱したと思います(想像です)。

    入院されてから、すべての検査結果が報告される3月10日まで2週間ほどあります。この間、どのようなことが行われていたのでしょうか?

    様々な検査が行われていました(病理検査、進行度、遺伝子検査)。

    3月10日、肺がん(肺腺がん、ステージ4、背骨と肋骨に転移、EGFR変異なし、ALK融合遺伝子なし)、余命10ヶ月と言われます。この日のことで覚えている限り教えて頂けますか?

    覚えていることは実はなく、記憶がありません。いわゆる頭が真っ白でした。
    ただ、ノートに「治療をしなければ3ヵ月、治療をすると10ヶ月」と書いてありました。

    がんの事実を、ご兄弟(妹たち)にはどうやって伝えましたか?何と言われていましたか?

    正直、覚えていないです。

    抗がん剤治療(アリムタ、シスプラチン)はいかがでしたか?

    気持ち悪くて、吐き気がして、つらかったです。
    私は、すじこが好きだったのですが、コンクリートを食べているような感覚でした。
    よく聞くように、最初の一週間が気持ち悪くて、その後は大丈夫でした。

    抗がん剤(アリムタ、シスプラチン)を2クールで終え、(アリムタ、カルボプラチン)の組み合わせに替えます。なぜ、替わったのでしょうか?

    副作用でむくみが出たからです。

    カルボプラチンの効果と副作用はいかがでしたか?

    副作用は基本同じですが、それまでに比べて、レベルは減ったと思います。
    効果は同じくあったと思います。2剤ですから、本当に効いているのかどうかはわかりませんでした。

    「こんなに効果があるのは20人に1人」と評されます。当時の心境とご家族の様子を教えてください。

    とにかく嬉しかったです。宝くじに当たったよう。もしかしたら治ったのかという思いにかられました。同時にそんなことはなく、すぐに悪くなることも知識として知っていて、そのバランスをとるのが大変でした。効果がものすごくある時に、それは限定的と考えて、次の矢を用意するのは、非常に困難です。覚えているのは、生存曲線ありますよね。あれを死亡曲線と言い換えていました。つまりどれくらい生きられるかという希望の線ではなく、どんな風にみんなが死んでいくのかを書いた線だと否定的に見ることで、自分が宝くじに当たったなどということは幻想であり、自分自身もこの線の中にいるのだと言い聞かせ、次に対処する行動をするように促していきました。これは本当につらかったです。そしてその通りになりました。次の矢を用意していたので非常にスムーズに移行できました。
    このような状態だったからでしょうか、家族の記憶はありません。

    抗がん剤治療を受けていた2010年・春から夏にかけては、どのような生活でしたか?

    上記の次の矢をどうするのかを考える、上大静脈症候群への対処、などなど。
    入退院を繰り返しながら、考え、セカンドオピニオンへ行きました。
    子供の小学校入学などもあり、その生活を大切にしていたことも記憶に残っています。

    セカンドオピニオンを受ける医療機関をどのようにして選ばれましたか?何施設でオピニオンを聞かれましたか?オピニオンに対してどのような印象を感じましたか?

    内科で主治医含めて3人、放射線科4人という具合ですね。
    いっぺんにというわけではなく、上記の治療を受けながらです。
    セカンドオピニオンで訪れたのは、6施設です。印象は、様々な意見があり、決めるのは自分だな、というのが最大です。みんな治るとは一言も言いませんでした。書いたように状況はその通りに進みました。

    その後、受けられた陽子線治療と入院生活について教えてください。

    特に痛くもかゆくもなかったです
    茨城でしたので、売店にイナゴのつくだ煮やほしいもが売っていました。
    ほしいもは、おいしかったです。

    余命10ヶ月を言われてから、お子様たちにご自身の病気についてどのように説明されたのでしょうか?その時のお子様の反応と併せて教えてください。

    子供には説明できませんでした。ちょっと無理でした。妻が(お父さんは)病気にかかって、一所懸命闘っていると説明しました。

    長谷川さんは、治療について解からないことがあると徹底的に調べて勉強されたと伺いました。解らないことを知ることで安心できるかと思いますが、逆に、知ったことで怖くなったり腹立たしく思い、知らなければよかったということはありましたか?

    知らなければよかったと思うことは一切ないです。
    また、書いてある通りで、怖くなってしまいます。
    しかしながら、知らないで怯えているよりも、知ったことで怖くなる方がよっぽどましです。
    戦略を立てられますしね。良く気持ちを強くもてといいますが、戦略があってこそ、強い気持ちを持ち続けられると思います。自分が何をしているのか、状況を知らずにつらい抗がん治療を受けて、悪くなっていくわけです。良くなっても一時的なもので悪くなっていく。治らない進行がんというのはそういうものです。
    なので、戦略を立て、納得いく治療をすることのみ、この事実を受け入れられるのではないかと考えます。そういう考え方をします。

    治療中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

    きちんと納得した治療を受けているか?最善の治療を受けているか?そのために患者としてできることをしているか?と問うことで何とかやりくりしてきたというかんじではないでしょうか。
    浮き沈みはあるのが当然で、別にそれがあったからといって自分を攻めずに、日々を過ごしていたように思います。
    向き合うという表現は、どうもしっくりこなくて、目の前にある課題を必死で考え、行動し、なんとかやっていると時間が過ぎたという印象です。一日一日を大切にとはいつも思っていました。でもそれができているとはちっともおもっていなくて、またそれができなくても、それでいいだろうという感じです。

    重粒子線治療の生活はどのようなものでしたか?

    これも痛くもかゆくもない治療でした。

    2012年、長谷川さんは自ら申し出て、右肺の全摘手術を受けられます。その決断に至るまでの想いを教えてください。

    この時までに薬はめぼしいものは使い切っており、放射線もやったあとできることは手術というかんじです。
    自分のがんが本当に普通のタイプであり、ぐいぐいと悪化する。
    それに対処してきただけで、とくに決断という感じではなかった気がします。

    実際に、全摘手術を受けられていかがでしたか?合併症と併せて詳しく教えて頂けますか?

    階段はのぼると息が切れて休みが必要になります。
    普通の時の半分以下の体力と思います。
    疲れやすい。
    合併症によって、とにかく体調が管理できなくなりました。
    いつもだるく、風邪をひくと一ヶ月入院になる。
    週7日通院など、よくやっていたなあと思います。
    でも手術ですから、悪いところは取れているわけで、その意味ではうれしかったです。

    肺が片方ない影響は、そうですね、大久保さんなら理解できると思うのですが、マラソンとかをすると、爽快感というか、リフレッシュとかそういう感覚があると思いますが、肺が片方になると、人生からそういうものがなくなりました。
    速足で心拍が異常に上がり、息切れする。疲れて、具合悪くなるだけです。
    普段の生活はそうならないようにじっとしているだけです。
    でもデスク作業はできますし、最初からその影響はわかっていたことなので、別にどうということはないだろうと言い聞かせています。

    2015年に余命10ヶ月から、5年の節目を迎えられます。当時、どのように振り返っていたのでしょうか?

    週7日あった通院は週2回にまで減っていました。
    負担のない範囲で仕事も復帰していました。
    そういう意味で順調で、5年は待ち遠しく、そして記念日的な存在で待ち遠しかったです。

    この5年間に何らかの仕事に就いたことはありましたか?

    上記した通りで、BS朝日のザ・インタビューという番組を担当しました。

    その後、再発して抗がん剤(タルセバ、TS-1、アバスチン)治療を受けられます。どのようなお気持ちで治療に臨まれていたのでしょうか?実際、治療はいかがでしたか?

    残念ながら弾切れです。
    やることはすべてやったので、終わるだろうと覚悟しました。
    治療は奏功したりしなかったりする部分があり、結果として不透明です。
    わからないという結果です。
    そのまま経過観察に入り、今も大きくなっていない状態です。

    その後、現在まで2年超、治療を受けずに順調に来られています。凄いことだと思いますが、何らかの自信につながっている部分はあるのでしょうか?

    これは考えたことがないです。
    特にないと思います。
    ただ、最初のころと違い、ぐいぐい来る感覚はなくて、様子見してもいいんではないか、この状況で恐れ続け、怖がり続けることは意味がないと考えてはいます。

    2016年からの2年間、どのようにして生活を過ごされていたのでしょうか?

    患者会をやってきましたね。自分のできることを淡々とやっていた感覚です。

    想いの詰まった「ワンステップ」を立ち上げられて、その後、いかがでしょうか?

    皆さんが応援してくださる、そして自分のできることをやっていると同じ志を持った人が現れる、さらに自分の力とは別の力を持った人たちとつながり、広がっていく感覚があります。
    健康なときには、きちんと成長しているかどうか、それが言葉となって表れていました。病気になってその言葉は消えています。
    でも考えてみるとその時の自分に戻っているような感じかなと思うときはあります。
    やれることは変わっていますが、本質は同じと感じています

    8年経ちました。ご家族は、どのように言われているのでしょうか?お母さま、奥さま、お子さんたちの様子や、長谷川さんにかけられる言葉などから、教えてください。

    あんまり病気のことは話さないですよ。
    ちょうど8年を迎えたとき、たまたま隣にいた娘には、「今日でちょうど8年たった」と伝えました。
    「いままでどうもね、これからもよろしくね」と伝えると「こちらこそよろしく」と言われてうれしかったです。

    肺腺がん、ステージ4から、8年を生き抜き、これから10年に向かわれている今、どのように感じられていますか?

    自分のやるべきこと、できることが見えてきたと感じています。
    具体的には患者会です。
    3年がたとうとしていて、ある程度形ができました。
    患者なので、未来を考えることに躊躇があるのですが、もう構わずやっています。
    それを淡々とやるんだろう、という意識です。

    がんになって失ったもの、得たもの

    この考え方はピンとこないので答えが少ないです
    【得たもの】
    仲間

    【失ったもの】
    健康

    大切にしている言葉

    がんであることと自分がどう生きるかはあまり関係がない。

    現在治療中の方々に伝えたいこと

    特にないです。
    「人は生きてきたように治療する」という言葉が、がん界隈にありますがその通りと思います。
    自分の好きなように生きればいいと思っています。
    そのように生きることができると思っています。

    現在治療中の患者さんのご家族に伝えたいこと

    先輩患者として、経験したものとして伝えられるとすれば、自分ですべて決められるということです。
    決めて進めばいいと思っています。
    決めないと、怯えて生きることになります。
    私はそれが嫌です。
    そうですね。こうしたい、ああすべきというのはあまり浮かばなくて、自分の一番いやなことは何かを決めて、それだけを回避する、
    そういう風に考えています。
    自分の嫌なことは結構すぐに思いつくと思います。

    長谷川さんが、いま、やられていること、今後、やろうとされていること、やりたいことを教えてください。

    究極は患者主導の臨床試験です。できるといいですね。

    がん患者がしてはいけないこと、がん患者がするべきこと

    ※これらの質問は答えが思い浮かばないです
    好きにすればいいのではないでしょうか。これは投げやりでなく、本当にそう思っています。逆にこれを言う患者をあまり信用しないかもしれません。尊大と感じます。

    周囲から掛けられた言葉で、嬉しかった言葉

    具体的なことが思い浮かばないのですが、やはり、共感の言葉がうれしいです。

    周囲から掛けられた言葉で、不愉快に感じた言葉

    これも具体的でないのですが、プロフェッショナルとしての矜持のない態度や言動は意気消沈しますね。

    復職する際に大切なこと

    体調

    当時参考にした本

    がん哲学外来の本は勇気づけられました。タイトルはすみません。失念しています
    古本屋に行きました。

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    取材:5years 大久保淳一

    この記事の著者

    (5yearsプロフィール)

    日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
    2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
    現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
    >>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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