腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
- 第1話「食欲不振」
- 第2話「改善されない体調不良」
- 第3話「悪性腫瘍の疑い」
- 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
- 第5話「検査だらけの2週間」
- 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
- 第7話「つらくて仕方がない」
- 第8話「検査入院」
- 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
- 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
- 第11話「抗がん剤治療の終了」
- 第12話「寛解」
- 第13話「日常を取り戻して」
第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
試験腹腔鏡手術の結果、「漿液性腺癌(しょうえきせいせんがん)」「腹膜がん、ステージ4B」と判明した大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2015年当時48歳)は、手術の翌日から抗がん剤治療(TC療法)を受けていた。
2015年4月18日から始まったTC療法。最初のころは酸素マスクをしながら受けていた。
手術による体力低下もありフラフラだった。
この頃、病棟で40歳半ばの主治医と話したときこう言われた。
八尾さんと同じタイプのがんの場合、5年生存率は国立がん研究センターの報告では30%、うちでは約50%。
「わたし、助かるんですかね?」そう聞く八尾さんに医師はこう返す。
「50%にかけましょう。がんばりましょう」彼はいつもがんばりましょうを繰り返していた。
抗がん剤の副作用はさっそく現れた。
気持ちが悪く吐き気がして、だるく、髪の毛も抜け始める。
TC療法の第1クールは5月4日に終了。
そして第1クールのあと一旦退院して1週間自宅で身体を回復されるため時間をあけられた。
久しぶりに戻った家は懐かしく感じられた。
そして第2クール、これも京都大学医学部附属病院に入院して行われた。
治療は順調に進み第3クールからは通院して行うものに替わる。
八尾さんが受けた治療ではカルボプラチンとパクリタキセルを身体に入れる日は、各クールの第1日目、8日目、15日目と決められていた。
だからその日の前後に2泊3日で入院する。
だから入院と退院を頻繁に繰り返す生活に変わった。
ただ抗がん剤を身体に入れる前に必ず血液検査を受け治療を行っても大丈夫かどうか測るのだが、時々血液中の好中球の値が低くて検査のみで終わり、抗がん剤治療を受けられずに帰宅することもあった。
毎回、抗がん剤が身体に入ってから自宅に戻るのため体調は良くなかった。
ぐったりとして何もできず家で横になってばかりだった。
自宅にいるのに家事ができない…。
一方、夫はレシピサイトの「クックパッド」を観ながら家族の料理を作るまでになっている。
「(このひとは)もう、ここまでできるんだ」
あまりにも以外で驚くと同時に「私なんていなくても家族はやっていけるんだ」とショックを受けた。
自宅にいるのに居場所がない感じがする。
まるで家族の重荷になったようでつらい。
こんな私なら入院していた方がいいんじゃないのか…。
抗がん剤の副作用で精神的に追い込まれ、だんだん卑屈な気持ちになっていた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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