【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー

腹膜癌 ステージ4 サバイバー 八尾智子さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】八尾智子さん 腹膜癌 ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「食欲不振」
  3. 第2話「改善されない体調不良」
  4. 第3話「悪性腫瘍の疑い」
  5. 第4話「京都大学医学部付属病院へ」
  6. 第5話「検査だらけの2週間」
  7. 第6話「体調の悪化。確定しない病気」
  8. 第7話「つらくて仕方がない」
  9. 第8話「検査入院」
  10. 第9話「漿液性腺癌、腹膜がん、進行ステージ4B」
  11. 第10話「続く抗がん剤治療(TC療法)と気持ちの変化」
  12. 第11話「抗がん剤治療の終了」
  13. 第12話「寛解」
  14. 第13話「日常を取り戻して」

第12話「寛解」

「漿液性腺癌(しょうえきせいせんがん)、腹膜がん、ステージ4B」との診断が確定した大阪府在住の八尾智子(やおともこ)さん(50歳、2015年当時48歳)は、試験腹腔鏡手術のあと合計6クールの抗がん剤治療(TC療法)を受けた。その結果、画像上がんの影が消えたため手術は行われなくなった。

振り返ると、抗がん剤治療の第2クールに入った5月頃から前向きな気持ちに替わっていた。
それまでは「死ぬんじゃないか」と恐れてばかりだったが明らかに考え方が変わっていた。

9月に入り担当医2人と若い研修医、そして夫の浩一さんと八尾さんの5人で面談した。
その時主治医からこう言われる。

「よくがんばりましたね。腹腔鏡手術とTC療法、すべてが良かったんです」
「先生、これって…、寛解なんですか?」
「はい、完解です」

驚いた、自分は寛解になっていた。こんなことってあるのかと思った。
ただその後、夫にすねてみせた。「(治療は終わったけれど)どうせ私は5年しか生きれへん」八尾さんがそう言うと夫の浩一さんは「そんなん、だれでも一緒や。先のことは誰にもわからん」と笑いながら返してくれた。

会社はこの年の6月末で自動的に契約満了、退職となっていた。
だから10月に失業保険の手続きをして支給が始まる。
経過観察で病院の外来を訪れた際、主治医に働いていいですか?と聞くと問題ありませんと返された。

がん治療を終えて自宅にいる。
娘も大喜びだった。

この年(2015年)、長女は20歳になった。
思い返せば6月、まだ抗がん剤治療中の頃、長女の成人式記念として6人で写真を撮った。
8月に入ると長女は短期留学でノルウェーに旅立った。
関西国際空港で大きくなった娘の見送りも出来た。
一時、長女は八尾さんががんになり抗がん剤治療中だから留学なんてやめようかと言い出したが「あなたの人生なんだから、行きなさい」としっかりと送り出せたのは思い出深い。

色んなことがあったこの1年。
精神的に追い込まれた時期もあったが、遠い昔の話になってきている。

解放された感じでとてもすがすがしかった。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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