卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1
- 第1話「痛みのひどい生理」
- 第2話「再度の生理の時の痛み、多量の出血」
- 第3話「東南アジアでのボランティア」
- 第4話「帰国してからの漫然とした日々」
- 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
- 第6話「太り始める腰周り」
- 第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
- 第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
- 第9話「彼への告白」
- 第10話「病理検査結果と卵巣がん、子宮がん告知」
- 第11話「愛おしい一日一日。積極的な毎日へ」
第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
中学生の頃からつらい生理痛に悩まされてきた埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、2009年の転職と転居に伴いそれまで定期的に受診していた婦人科から足が遠のいてしまい、5年ほどは検査を受けてこなかった。2014年10月に吐き気と貧血が強くなり所沢第一病院の婦人科を受診したところ卵巣が腫れていると言われる。
藤井さんは後悔していた。
なぜ、この5年間病院で検査してもらわなかったんだろう…。
体調が悪いときは病院に行ったが、改善すると安心していかなくなっていた。
2014年10月27日、予定通り多摩北部医療センターに行くと、さっそくいろんな検査が行われ医師からこう言われた。
「手術して腫瘍のある右側の卵巣を取るよ。そして子宮にあるゴリゴリしたものも取る。あと右の卵管と大網も取る。卵巣ってね、お腹を開けてみないと腫瘍が良性か悪性かはわからないんだよ。」
この日診察に同席してくれた姉と母親は取り乱すことなく冷静に医師の話を聞いていた。
母親はわざわざ北海道からこのために来てくれた。
「手術してとった腫瘍はすぐに病理検査に回すから。もし悪性だったら後日再び手術。その時は子宮も左側の卵巣もすべて取り、リンパ節郭清もする。それから抗がん剤治療を7~8ヶ月行うことになるよ」
すべてが重い話だった。
“すべて取る”、“抗がん剤7~8ヶ月”という言葉が心につき刺さった。
医師は終始柔らかい雰囲気をかもし出し、大変ですが大丈夫ですよとでも言っているかのようだった。
これまでテレビドラマで観たような医師が深刻に話す雰囲気がないのでそれをとても感謝した。
手術でいろいろな臓器を取られるが、でもそうすれば生きていけるんだろうと感じた。
この日は大きな手術を受ける現実を理解し、受け入れるのに精いっぱいだった。
そして取り敢えずいま、ここを乗り越えようと考えた。
ただ一方、悪性だった場合は女性としての臓器を失うことになる。
そうなると将来、子供は望めない。
「彼になんて話せばいいの…」未婚の藤井さんにはとてもつらい話だった。
翌日10月28日、お付き合いしていた俊輔さんが病院での話を聞きたいとして家に来ることになった。
前日の病院外来は、姉と母親に付き添ってもらったので、今後の手術の内容と悪性だった場合の対応について彼は知らない。
藤井さんは俊輔さんとは別れることになるだろうと覚悟してその日会った。
自分はもう子供を産めないかもしれない。
彼の人生をこれに巻き込んじゃいけない。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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