【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1

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卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1
  2. 第1話「痛みのひどい生理」
  3. 第2話「再度の生理の時の痛み、多量の出血」
  4. 第3話「東南アジアでのボランティア」
  5. 第4話「帰国してからの漫然とした日々」
  6. 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
  7. 第6話「太り始める腰周り」
  8. 第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
  9. 第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
  10. 第9話「彼への告白」
  11. 第10話「病理検査結果と卵巣がん、子宮がん告知」
  12. 第11話「愛おしい一日一日。積極的な毎日へ」

第4話「帰国してからの漫然とした日々」

栄養士の仕事を辞めて東南アジアの孤児院でボランティアとして働くことを26歳の時に決めた埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、現地で血の塊がでて驚く。シンガポール人の医師に診てもらったが、その後も体調は戻らず2004年8月に帰国した。

すでに28歳になっていた。
北海道の実家に戻ったが無職なので健康保険証すらない。だから父親の扶養家族として加入し保険証が手に入ったころ岩見沢市の市立病院の婦人科を訪れた。

2004年8月末のことだった。
東南アジアの病院から持ち帰った腹部エコー検査の写真と現地で処方された女性ホルモン剤を持参し診察室に入った。
婦人科の男性医師は「海外で診てもらったんだ。それで今は大丈夫なの?」そう聞く。
藤井さんはとっさにその日の体調として「はい。今は大丈夫です」そう答えてしまった。
その流れから、まだ若いし診察されるのも嫌だろう。いま何でもないんだよねと念押しされ、問診だけで終わってしまった。

このとき2つの想いが藤井さんにはあった。
“自分のやりたいことを諦めて帰国してきたんだから病院できちんと診てもらわなくてはいけない”、一方“診察は恥ずかしくて嫌だしお医者さんが大丈夫というなら大丈夫だ”。
強い自分と弱い自分。
しかし、取り敢えず安心してしまった。
帰宅して母親にそれを言うと驚かれて「もう1回ちゃんと診てもらいなさい」そう言われたが、病院に行くことはなかった。

それからは、家に引きこもりがちな生活に変わる。
帰国した娘が家にいることで両親は安心している感じだったが、藤井さんはこれからの人生、どういう生き方をすればいいのか解らず漫然と過ごしていた。そんな毎日が長く続いた。

ある日父親が町内会で自分の娘が29歳にもなるのに結婚もせずに家にいると何気なく言った一言を偶然耳にしひどく傷ついた。悔しさと情けなさから30歳になる前に実家を出る決意をする。
そして関東圏で仕事ができる派遣会社の面接を受けた。
北海道の実家を出て、また1から始めて自分に勢いをつけたかったのだ。
そして翌2005年1月に埼玉県にある派遣会社所有のアパートに引っ越した。

3LDKで3人共同生活。
他の2人も北海道出身で、自分より若い21歳と22歳の女性だった。
職場は坂戸市にある家電製品の部品を作る工場で、仕事は製造ラインに立ち組み立てる役割だった。

次のページを読む >> 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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