【インタビュー】卵巣がん 子宮体がん ステージ1 藤井恵さん

    卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)ステージ1 サバイバー 藤井さんのインタビューです。

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    目次

    基本情報

    名前: 藤井恵さん >>5yearsプロフィール
    年代: 40代、女性
    病名: 卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)
    進行: 卵巣がん→1c 子宮体がん→1a
    発症: 2014年10月(38歳)
    治療: 2度の開腹手術、その後抗がん剤化学療法(6クール)
    期間: 2014年10月~2015年5月
    合併症:1回目2回目の化学療法中に軽い蕁麻疹
    職業: 会社員
    生命保険: 入っていませんでした。

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    中学、高校、短大と学生の頃、病院の婦人科で診てもらうことを避けていましたが、そこまで嫌だった理由はなぜですか?

    とにかく「恥ずかしい」その一言です。そして、そういった症状の影に大きな病気が隠れているかも、という危機感が薄かったのと「自分に限ってそんな大病するはずない」という根拠のない自信があったのではと思います。

    “あねご肌”の先輩栄養士の人に「婦人科の方は元気なの?」と聞かれた時、大丈夫ですと答えてしまったのはなぜですか?

    「元気」と「元気じゃない」の境目がわかっていなかったのかもしれません。どの程度からが「元気じゃない」のか判断できないというか。自分の体のことなのに本当にいい加減で無知だったなーと思います。

    ときどきつらい生理痛があるにもかかわらず単身で東南アジアに行く決意をしたとき、体調・健康に不安はありませんでしたか?

    不思議なのですがまったくなかったのです。周囲の人は心配してましたが自分は「その時はその時さ、どうにかなるさ」と心配よりもこれから始まる新しい世界のことに心を奪われていました。

    海外で大福もちのような血の塊がでた時のお気持ち

    何かの間違いか、これは夢か…としばらくトイレで固まっていました。

    それまで婦人科を避けてきたのに、シンガポール人の医師に診察された時のお気持ち

    医師が女性だったこと、そして通訳の日本人スタッフも女性だったことから恥ずかしさはそれほどありませんでした。とても良く対応して頂いたので症状への不安はありつつも安心して病院にかかることができました。

    ホルモン剤たる経口避妊薬を服用することへのお考え

    「経口避妊薬」と聞くと「避妊」のためだけに服用するようなイメージですが、月経困難症やPMS(生理前症候群)など治療目的で服用されている患者さんが多くいらっしゃいます。服用する一部の人には副作用もありますし(血栓、吐き気、頭痛等)、煙草を吸う方や高血圧の方にはお勧めできないそうです。ホルモンのバランスを整える、という意味で服用したことに後悔はしていません。なぜなら月経トラブルが大きく改善されましたから。ちなみに私が服用していたのは低用量ピルでした。

    北海道に戻り岩見沢市の市立病院の医師との会話で問診だけで終わってしまったときの状況と後悔

    「これで大丈夫だって、どうしていえるの?」「内診なしか、ホッとした」という二つの思いが交差していました。もしタイムスリップできたら、自分を引きずってでも違う婦人科に連れて行きたいです。

    派遣先で桃くらいの血の塊がでた時の驚き

    自分の子宮の中は今いったいどんな状態なんだ…このまま出血が続いたら死んでしまうのではないか、と初めて恐ろしくなりました。

    色んな病院がある中、平野産婦人科医院がかかりつけ病院となった理由は?何が良かったのですか?

    かつて別の病院の男性医師で嫌な思いをしたことがあったので「絶対女性医師」と決めて病院を探していました。治療目的で低用量ピルを使用している、ということを前面に押し出していたので「女性の味方」という印象を強く受けました。案の定診察も女性目線での配慮がなされており、患者側の話にも親身になって受け答えしてくださる病院で先生も病院スタッフも本当に素敵な方々でした。
    当時患者さんに妊婦さんは見当たらず、近所の奥様方のかかりつけ婦人科病院という感じでした。

    転職と転居を期に婦人科に行かなくなってしまった理由はなにですか?

    平野産婦人科でお世話になり毎月の生理が穏やかになったことから、すっかり安心してしまったのだと思います。それと紹介していただいた病院は妊婦さんがメインの産科病院のようだということもあり、行きにくさを感じ足が遠のきました。

    その後、卵巣がんを発症します。検査に行かなかった期間にできたものとお考えですか?それとも以前の病院の見落としとお考えですか?

    いつ頃できた物かは先生にお聞きしていませんが、検査に行かなかった期間にできたと思ってます。

    卵巣が腫れていると言われた時の心境

    「え?子宮じゃなくって?」という感じでした。卵巣がどうにかなっているという考えは1ミリもなかったのです。

    手術を目前に控え、俊輔さんからプロポーズされた時のお気持ち

    とにかく「この人の人生を(私の病気に)巻き込んではいけない」という気持ちで一杯で、健康な女性と一緒になった方が幸せなのではと思っていました。その反面「乗り越えていくために側で支えてほしい」という気持ちもありどうすればいいのかわかりませんでした。
    でも彼の中ではもう決めていたことだったようで「俺、最初から決めてた。結婚するならこの人だって。恵じゃなきゃダメなんだ。」とも言われ彼の固い決意に「この人のために(病気と)闘っていこう!」という強い思いが芽生えました。

    1回目の手術のあと病理検査の結果が「だめだったよ」と主治医から言われた時の心境

    ほんの少しですが期待も持っていたのです、「良性腫瘍」なんじゃないかと。でもダメで、
    おまけに子宮もダメで。一瞬下を向きかけましたが「なってしまった物はしょうがない、ちっくしょー!やってやろうじゃん!!」とヘンに闘志むき出しな感じになりました。
    そう思えたのも先生の患者を不安にさせないお人柄のおかげかもしれません。卵子凍結を断って全摘を選び「先生、ガッツリやっちゃってください!」と言ったら「よしっ!バッチリやるから!!」と力強く笑顔で仰ってくださった先生。あの時の頼もしさと安心感、きっとずっと忘れません。

    藤井さんにとって仕事とは?

    私が生きてる証し。生きてることを実感できる物。

    がん治療中に会社がしてくれたことで有り難かったことは?

    勤務時間は10時~19時ですが、体調をみながら自宅での変則勤務を許可してくれました。小さな会社ですのである程度の融通がきくのです。仕事量もかなりセーブさせてくれました。手術入院と化学療法のため入院した日数はすべて有給扱いにしてもらえました。副作用でお仕事ができない日も有給にしていいよと言われましたが、さすがにそれは甘えすぎだろうと思い欠勤扱いにしてもらいました。

    がん治療後の会社の対応で感謝していることは?

    事務所復帰後、まだ体調が万全ではなかったので自分が「大丈夫」と思えるまで時短勤務と週休3日勤務をさせてくれました。
    会社が「こうしなさい」と言うのではなく、自分で「こうしたいので良いですか」というのをことごとくOKしていただきました。医療保険に入っていなかったので、生活と治療費のために何が何でも働かなければならない状況でしたが、その中で最大限の配慮をしていただけたと感謝しています。

    振り返って、中学、高校、短大のころに病院の婦人科にかかっていれば何かが変わったと思いますか?

    変わった「かもしれない」です。自分勝手な推測ですがもともと卵巣機能が良くなかったのではないかと思っています。対応が早ければ違う未来があったのかもしれないと感じています。でも、そうしていたら今の主人と出会っていなかったと思うんです。病気になったことも私の人生のひとコマだと感じています。

    治療中、リハビリ中、心の浮き沈みに、どのように向き合いましたか?

    2度目の手術を終え化学療法が始まるまで何日かあり、その間明け方3時~4時に必ず目が覚めいつもコッソリ泣いていました「最大の親不幸をした」と。
    そして1回目の化学療法開始となる朝、何故だかわかりませんが突然思考が切り替わったのです。
    「今日を境に体中すべての細胞が新しくなるんだ!」

    それからは「今日よりも明日、明日よりも明後日、きっといい方に向いて行く」と心の中で念じていました。
    術後でヨロヨロ歩いてる時、点滴の針刺しがうまくいかない時、副作用が辛い時、「がんばれ、がんばれ、ワ・タ・シ!!」と自分にエールを送ることもありました。

    退院後、何度かウジウジすることはありましたが「受け流す」「スルーする」ことが何故かできるようになり、自宅で起き上がれない時でも「闘病という名のバカンスよ♪」と思うようになりました。

    婦人科のがん治療と性的な尊厳について

    私がお世話になっている病院は「産婦人科」ではなく「婦人科」がある病院です。産婦人科病棟に入院したがん友達はとても辛かったそうです。一方は誕生の喜びに包まれ、一方は失った悲しみの中に沈む。とても残酷なことだと思います。せめて病棟が違っていれば悲しみも軽減するのではないでしょうか。もちろん対応されている病院もあるとは思いますが。

    2回目の手術前先生から「子宮を残して、卵子凍結という手もあるよ」と提案していただきました。私の場合は全てのリスクを回避するためその案を選ぶことはありませんでしたが、そういった手段もあるということを多くの女性に知っていただきたいですし、医師の皆様にもありとあらゆる可能性を考えて今後の提案をしていただきたいです。
    そして患者本人の納得がいくまで付き合ってほしい、物怖じして聞けない患者には「何か心配なことある?」と優しく促してほしい。ガンガン話を進め、選択の余地もなく手術してハイ終りではなく対応して頂きたいです。

    たとえ生殖機能を失っても悲観的になる必要はないですし、自分が女性であるという事実が変わるわけでもありません。必ずしも子供を産むことが女としての幸せではないし、子供を産めないことで軽視される筋合いもありません。私は私、あなたはあなたです。病気で生殖機能を失ったけどこれも私の個性、そしてお腹の傷跡は頑張りぬいた勲章です。

    がんになって失ったもの、得たもの

    【得たもの】

    • 自分の体を労わる気持ち。
    • リセットされた人生。
    • 新しい出会いと繋がり。

    【失ったもの】

    • 子供を産むこと。

    大切にしている言葉

    • 古い物は過ぎ去り、全てが新しくなった(聖書より)
    • 違う生き方でいいんだ、ありのままを愛するんだ
      (曲The Bird Without Wingsより)
    • 不完全な運命も僕に与えられた今も It’s my life
      (曲The Bird Without Wingsより)

    現在治療中の方々に伝えたいこと

    辛い時は泣いたっていい、叫んだっていい、でも心は閉ざしてしまわないでください。
    そして周囲を頼ってください。元気になった時にお返しすればいいんです。
    そして現状を嘆くのではなく、これからどう生きていくかに目を向けてみてください。

    側にいらっしゃるご家族は第二の患者だと言われています。ご家族の皆様も抱え込まずに相談する場、ご自分を開放する場を確保してくださいね。

    いま、やられていること、今後、やろうとされていること。

    仕事でクロスワードパズルを作っていますが、これを情報発信の場として活用していけたらと思ってます。「特上クロスワード12月号」で病気やいろんな事情で髪に悩みを持つ子供達のために無償でオーダーメードのウィッグを提供しているJHDACというNPO団体を取り上げました。これがクロスワードでの情報発信第一号でした。

    いろんな活動を知っていただく場としてのクロスワード、これからも気持ちを一杯込めて作っていきます。
    あと、自分はもう子供を産むことはないので子供達に関る何かができればいいなと思ってます。その「何か」は現在模索中です。

    がん患者がしてはいけないこと(3つ)

    1. 自分を責める
    2. 他人と比較する
    3. 誰かのせいにする

    がん患者がするべきこと(3つ)

    1. 受け身にならない
    2. 医師との良好な関係を築き積極的にコミュニケーションを取る
    3. 病気も人生の一部と受け入れ、思考を切り替えること

    当時参考にした本

    1回目の入院の時に姉が2冊持ってきてくれたのですが、「がん」確定前だったので真面目に読みませんでした(姉ゴメン!)。参考にしたのは主にインターネットのサイトでした。

    最後に…

    世のお嬢さん方、そしてお嬢さんがいらっしゃるご家庭の皆様。
    どうぞ早いうちから「性」に関してご家庭で気軽に話せる環境をつくってください。
    お母様は経験者として、婦人科の診察はこのような物だけどなんの心配もいらないことをお嬢さんに話してください。

    そして生理で異常だと思われる状況はどんな物であるか、ご自身で学ぶと共にお嬢さんともその情報を是非共有してください。

    いまはネットで良い病院、女性医師がいる病院を楽に検索することができます。どうか心から信頼できるかかりつけ婦人科をみつけ、定期的に検査を受けてください。

    卵巣がんは、がん検診に含まれていませんが「ついでに卵巣も診て下さい」と言われて断る医師はそういらっしゃらないと思います。受け身にならず自分からも先生に話しかけてください。病気の知識についてもですが、患者として医師とのコミュニケーションをとる場合においても賢く立ち回るべきと私は思っています。

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    この記事の著者

    (5yearsプロフィール)

    日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
    2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
    現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
    >>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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