卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1
- 第1話「痛みのひどい生理」
- 第2話「再度の生理の時の痛み、多量の出血」
- 第3話「東南アジアでのボランティア」
- 第4話「帰国してからの漫然とした日々」
- 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
- 第6話「太り始める腰周り」
- 第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
- 第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
- 第9話「彼への告白」
- 第10話「病理検査結果と卵巣がん、子宮がん告知」
- 第11話「愛おしい一日一日。積極的な毎日へ」
第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
2005年から埼玉県に移り住み派遣会社を通じて家電部品の組み立て仕事、ICチップの検査をする仕事、そして現在のクロスワードパズルをつくる会社に転職した埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、転居と体調の改善に伴い2010年ころから婦人科病院には行っていなかった。しかし、2014年夏から急にお腹まわりが太りだし気になってきた。
なんとも変だった。便は出ているのにいつも残便感がするのだ。
10月に入ると朝からだるい日がつづいた。
やがて右の脇腹のあたりが痛くなる。さらに右脚の付け根が痛い。体重を右側にかけられなくなっていた。
10月14日・朝、通勤電車に乗っていたら気持ちが悪くなり「これはヤバいかもしれない」そう感じて途中駅で降りて家に戻った。
当然会社は休み、横になって安静にしていた。
翌日は午後から出社し、なんとか仕事はこなしたものの長い間立っていられなかった。帰宅するとき、会社から駅までの4分ほどでさえ休み休み歩く始末で、帰りの電車に乗っていると前の日と同じく気持ちが悪くなり、吐き気と貧血から途中駅で降りた。
お腹はパンパンに腫れあがりスカートのボタンをしめられないほどになっていた。
「あまりにも変だ」と思い、翌日、朝一で所沢第一病院の婦人科に向かう。
婦人科の男性医師は「横腹が痛いのになぜ婦人科に来たの?」と不思議そうだったが、藤井さんが今までの体調のことを説明すると納得し、とりあえず診てみようかとなった。
このときはまだ医師も和やかな応対だった。
しかし超音波検査を始めると「えっ、、大変だよ。卵巣が腫れているよ。出血もしている。これ知っていたの?」
通常は親指の爪くらいの大きさの卵巣が9cmにまで腫れているという。
子宮筋腫かなにかを想像していた藤井さんは卵巣が腫れていると言われ動揺する。
血液検査、尿検査に続き、外科で虫垂炎の可能性を調べられた後、再び婦人科に戻るとこう言われる。
「子宮にもゴリッとしたものがあるんだよ。これもすごく気になる」
もっと大きな病院で診てもらった方がよいとして東京都保健医療公社 多摩北部医療センターを紹介される。
「ここの先生は腫瘍専門の先生だから」
そう言われて愕然(がくぜん)とした
がんと腫瘍が同じなのか違うのかわからないが、ともかく命の危険を感じた。
所沢第一病院の医師はその場で電話して予約を取ってくれた。
そして10日後の10月27日に多摩北部医療センターに行くことになった。
それからの10日間は生きた心地がしなかった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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