卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1
- 第1話「痛みのひどい生理」
- 第2話「再度の生理の時の痛み、多量の出血」
- 第3話「東南アジアでのボランティア」
- 第4話「帰国してからの漫然とした日々」
- 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
- 第6話「太り始める腰周り」
- 第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
- 第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
- 第9話「彼への告白」
- 第10話「病理検査結果と卵巣がん、子宮がん告知」
- 第11話「愛おしい一日一日。積極的な毎日へ」
第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
中学生の頃からひどい生理痛に悩まされていた埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、東南アジアから帰国して北海道の病院に行ったが問診だけで検査もなく終わってしまった。2005年1月に埼玉県に移り派遣社員として家電製品の部品を組み立てる工場で働いていた。
派遣の仕事はきつかった。
2交代制で日勤と夜勤があり不規則な生活。
何よりきつかったのは背後に正社員がいて派遣社員たちを見張っているプレッシャーだった。
仕事が遅かったり不正確だとすぐに打ち切られる。
ストレスと不規則な生活からか、再びひどい生理痛に悩まされるようになった。
2005年6月、梅雨の蒸し暑い日だった。
作業中に今までにない量の出血が起こる。
まるで血が流れ出る感じでジーンズが血でしみてくるのがわかった。
あわててトイレに行き確認するとなんと桃の大きさくらいの血の塊が便器にボトッと落ちた。
頭が真っ白になり恐ろしくなる。
「どうしよう…。これじゃ仕事ができない…」
周囲の協力も得て大急ぎで対処し製造ラインに戻り仕事を続けたが、さすがに不安になり翌月、近くの婦人科クリニックに行った。
初老のおじいちゃん先生が、お腹の超音波検査をしてくれてここでも「ホルモンバランスが崩れている」と診断された。
そしてシンガポール人の医師に診てもらった時と同じくホルモン剤たる経口避妊薬を服用して様子を見る生活となった。
この年の11月、会社が派遣社員の削減を決め藤井さんは派遣終了となった。そして、別の会社の派遣と替わる。
次の会社では電子回路基板に使うICチップの検査をする仕事で座り作業だった。これで心身ともに楽な仕事となる。
2006年に入り相変わらず生理痛は悩ましかったが、信頼できる平野産婦人科医院と出会いそこがかかりつけ病院となる。定期的に診てもらうことでうまく回り出す。
病院では毎年子宮がん検査も行われ、超音波で卵巣も診てもらっていた。
だから安心できた。
このかかりつけ病院と出会えたことは藤井さんにとってとても大きなことだった。
また、派遣先の会社から今後は派遣としてではなく、うちの嘱託社員になりませんかとお誘いを受けてそうすることにした。
病院、仕事と安定する方向に向かった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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