卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1
- 第1話「痛みのひどい生理」
- 第2話「再度の生理の時の痛み、多量の出血」
- 第3話「東南アジアでのボランティア」
- 第4話「帰国してからの漫然とした日々」
- 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
- 第6話「太り始める腰周り」
- 第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
- 第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
- 第9話「彼への告白」
- 第10話「病理検査結果と卵巣がん、子宮がん告知」
- 第11話「愛おしい一日一日。積極的な毎日へ」
第3話「東南アジアでのボランティア」
中学生の頃からつらい生理痛に悩まされていた埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、栄養士として働き出したあとも定期的にやってくる重い生理痛に悩まされていたが病院に行き婦人科で診てもらうことはしなかった。一方、仕事はというと栄養士を辞めて東南アジアのある孤児院でボランティアとして働くことを決心する。
2002年末に現地入りし、それからの3ヶ月間は試用期間として働いた。
慣れない亜熱帯の気候と片言の現地語の生活。
がんばって試用期間を乗り越えた藤井さんは2003年4月から本採用となった。
孤児院での仕事はやりがいがあり積極的にこなしていた。しばらくして施設責任者の女性が2ヶ月ほど日本に出張することになりその期間は責任者の代役として強いプレッシャーを感じていた。
2003年12月のことだった。
いつものように孤児院の子供たちの世話をしていたときだ。
「あっ…」
何か塊(かたまり)が自分の身体の中から出た感じがした。
大便ではない。
何の兆候もなく、特に力(りき)んだわけでもなかった。
びっくりしてトイレに駆け込み確認するとナプキンに大福もちくらいの「血の塊」がのっていた。
一瞬、血の気が引いた。
「もしかして子宮筋腫かもしれない…」瞬間的にそう整理した。
以前だれかから子宮筋腫の人は血の塊が出ることがあると聞いていたからだ。
急いで現地のホテルにある外国人専用の病院に行った。
そこには通訳の日本人スタッフもいた。
医師はシンガポール人の女性で婦人科は専門ではないが診察してくれた。
「卵巣の機能が低下してホルモンバランスが崩れているのでしょう」と言われる。
診断は、機能性子宮出血。
経口避妊薬が処方された。そしてこう言われる。
「出血がなかなか止まらない場合は服用した方が良いと思いますが、服用はよく考えてください」
この経験から藤井さんはこう整理する。
ああ、私はホルモンバランスが良くないんだ。慣れない地での生活、しばらく上司が不在していたストレスとかあったんだろう。こんな事を両親が知ったらすぐ帰国するように言われるから、このことはしばらく伏せておこう。
しかし、その後も貧血がひどく、女性ホルモン剤たる経口避妊薬を服用してもダラダラと出血し体調はそれほど改善しなかった。
そして2004年8月に無念の退職を決意し日本に帰国する。
「まず日本の病院でしっかりと治さないとだめだ」
今後の自分のキャリアとして一大決心しての渡航であったが1年8ヶ月で断念することになった。
このとき大きな喪失感を感じた。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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