卵巣がん、子宮体がん(重複がん、類内膜腺)サバイバー藤井さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】藤井恵さん 卵巣がん 子宮体がん ステージ1
- 第1話「痛みのひどい生理」
- 第2話「再度の生理の時の痛み、多量の出血」
- 第3話「東南アジアでのボランティア」
- 第4話「帰国してからの漫然とした日々」
- 第5話「今までにない出血。桃くらいの血の塊」
- 第6話「太り始める腰周り」
- 第7話「超音波検査でわかった卵巣の腫れ」
- 第8話「卵巣、卵管の手術と病理検査」
- 第9話「彼への告白」
- 第10話「病理検査結果と卵巣がん、子宮がん告知」
- 第11話「愛おしい一日一日。積極的な毎日へ」
第1話「痛みのひどい生理」
「痛みも、苦しみも、俺に分けてほしい。すべて一緒に背負うからさ」
彼氏からそう言われて涙が止まらなかった。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら、プロポーズを受けた。
この話(ストーリー)は27年前の北海道までさかのぼる。
埼玉県所沢市在住の藤井恵さん(41歳、2014年当時39歳)は、27年前、北海道三笠市で中学生のころ生理がくるのがつらかった。
初潮は小学生6年だったが、中学に進学してからは出血量が多く痛みもひどくなっていった。
母親に相談すると「私はそんなに痛くなんだけどねえ」と返され個人差が大きいと感じた。
つらいけどまだ中学生だからと学校は休まずに我慢して登校していた。
15歳になり岩見沢西高等学校に進学した。
入学して間もない高校1年生の授業中のことが忘れられない。
確か、倫理社会の授業だった。
急に吐き気がし出し、血の気がさーっと引いていく感じがした。
強い貧血状態になり授業中に椅子に座っている事すらつらくなっていった。
「もう少しで授業が終わるから…」と我慢し、休み時間に保健室に行き1時間程横になった。
「なんだろう…、なんでこんなんなるんだろう」
これほどのつらい生理痛は初めてのことで自分の身体が少し怖くなった。
中学の頃よりも高校に入ってからの方がひどい。
そんなつらい生理が、1年に2~3回やってくる。
「私ってこういう体質なんだろうか…」
鎮痛剤バファリンが手放せない高校生になった。
母親から病院に行って診てもらうように勧められたが恥ずかしさから、どうしても病院の婦人科に行くことはできなかった。
「大丈夫。きっと20歳を過ぎたら落ち着くはず」
自分で自分に言い聞かせていた。
高校を卒業した藤井さんは、北海道名寄市にある短期大学に進学する。専攻は栄養学。
将来の夢は栄養士になることだった。
親元を離れまかないつきの下宿で学ぶ2年間。
この頃になると痛みのひどい生理は減っていて生理痛で寝込むようなことは無くなっていた。
「やはり大人になると大丈夫なんだ。落ち着いてよかった」
高校の頃のような不安はいつの間にか忘れていった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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