中咽頭がん ステージ4 サバイバー 松井雅彦さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】松井雅彦さん 中咽頭がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「続く微熱と喉の違和感」
- 第2話「耳鼻科クリニックへ」
- 第3話「がん告知」
- 第4話「食道へのがん転移」
- 第5話「今のうちに食べたいものを」
- 第6話「食道がんの切除手術と胃ろう設置」
- 第7話「放射線治療と抗がん剤治療」
- 第8話「退院。続く厳しい日々」
- 第9話「寛解。その後の日々」
第8話「退院。続く厳しい日々」
2015年12月に中咽頭がん(ステージ4、食道にがんが転移)と告げられた神奈川県逗子市在住の松井雅彦さん(55歳、2015年当時52歳)は、まず、横浜南共済病院で内視鏡を使った手術を受け、食道のがんを切除した。そして、2016年2月から、放射線治療と抗がん剤(ドセタキセル、フルオロウラシル、シスプラチン)治療を受けていた。
真面目な松井さんは仕事を一生懸命にこなすあまり、2007年に不安障害を発症した。
夜眠れないことも度々あり、薬で治療していた。
しかし、中咽頭がん(ステージ4)を告げられた日、主治医から「2クール目がきついけれど、それさえ乗り越えれば期待ができる」と言われ、絶対に負けないという積極的で前向きな自分に変わっていた。
だから、抗がん剤治療第2クールの強烈な副作用を受けている時も「これを乗り越えるんだ」と全力で戦っていた。
一方、食事はというと、第2クールの途中から食べられなくなり、胃ろうを使ってツインラインという栄養剤(消化態経腸栄養剤)を注入していた。
きびしい状況が続く中、思い出されるのは5ヶ月前に松井家にやってきた子猫の「マコちゃん」のこと。
このままだと保健所行きになってしまう生後1ヶ月の保護猫(マコちゃん)を譲り受け、可愛がっていたところ、長期の入院となった。
早く退院してマコに会いたい、松井さんは治療と副作用を乗り越えようとがんばった。
そして、4月8日、全39回の放射線治療を終え、ついに退院。
心の底からホッとした。
退院したものの依然厳しい日々に変わりなかった。
まず、声が出ない。
放射線を当てた首元は皮膚がただれて痛く、モルヒネを貼る始末。
口から食べられないので胃ろうを使い栄養剤を胃に入れるのだが、これがまた時間のかかる面倒な作業。
朝食に2時間、お昼1時間、夕食に2時間と合計5時間も椅子に座り胃ろうに栄養剤を流し込む。
何とも惨めな食生活だった。
退院した頃から口が渇くようになり4月30日に逗子デンタルクリニックで検査を受けた。
すると唾液が通常の4割程度しか出ていないことが解りがく然とする。
「やはり、そうか…」今後、少しでも回復することを目標にした。
やがて、食事は徐々に改善され、4月は3食胃ろうだったが、5月には2食、6月には1食と、口から食べられる機会が増えてゆく。
トーストをコーンポタージュにつけて湿らせて食べた時、
「ああ、口から食べられる」そんな感動を経験した。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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