小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー 赤荻深雪さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー
- 第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
- 第2話「入院病棟での生活」
- 第3話「退院~小学生へ」
- 第4話「大人になって」
- 第5話「自分のキャリア」
- 第6話「母親の腹痛」
- 第7話「母のスキルス胃がん」
- 第8話「母との時間」
- 第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」
第7話「母のスキルス胃がん」
3歳の時、小児がん(神経芽腫、ステージ4)と診断され、抗がん剤治療(シスプラチン、エンドキサン)、手術(左縦隔神経芽腫摘出術(左開胸))と2年間に及ぶ入院治療を受けた千葉県千葉市在住の赤荻深雪さん(34歳、2012年当時29歳)は、社会人になっていた。一方、母親が2015年から腹痛を訴えていた。
2015年10月、仕事中に姉からメールが届いた。
母親が、前日の夜、血を吐いて倒れたという内容だった。
メッセージを読んだとたん、激しく動揺し涙があふれた。
とても仕事をできる状態ではなく、会社の上司に事情を説明し早退。
みつわ台総合病院に駆けつけた。
診断では、母親は進行したスキルス胃がんだという。
その後、千葉市立海浜病院に転院し、更に詳しい検査を受け、その検査結果が報告される為、家族全員(父、母、姉、弟)と深雪さんで主治医のいる室に集まった。
そしてこう説明される。
「スキルス胃がんのステージ4です。肝臓と卵巣にも転移していて、腹膜播種があります。早ければ、この年末くらいかもしれません」
余命宣告だった。
病室に戻った母親は「人間欲張りだから…、生きていても欲が出てくるから…、これくらいがちょうどいい」そんなことを言い出し、深雪さんは涙が止まらなかった。
そして始まった抗がん剤(TS-1、シスプラチン)治療。
副作用はあるものの、治療効果が出始める。
会社の仕事を終え、千葉市立海浜病院に見舞いに行くと、抗がん剤治療をがんばっている母親が、深雪さんの夕食にと病院内のコンビニでお弁当を買って待っていた。
「私は、(食事を)食べられないから…」といい、でも娘の食事の世話をする優しい母親。
どこまでも自分はお母さんの子供なんだな…、そんなことを感じた。
「お母さんは食べられないのに、(私は、)隣で食べていてゴメンネ」
そんな会話をかわす娘と母親。
29年前の状況とは立場が異なるが、再び病室にいる二人。
深雪さんは治療が上手く行くことを願っていた。
抗がん剤治療は、第2クールが12月に終わり、翌2016年3月には、第5クールに入る。
そして、ゴールデンウィーク明けに胃を亜全摘、左右両方の卵巣と上行結腸の一部を切除する手術が行われることになった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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