【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー

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小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー 赤荻深雪さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
  3. 第2話「入院病棟での生活」
  4. 第3話「退院~小学生へ」
  5. 第4話「大人になって」
  6. 第5話「自分のキャリア」
  7. 第6話「母親の腹痛」
  8. 第7話「母のスキルス胃がん」
  9. 第8話「母との時間」
  10. 第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」

第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」

3歳の時、小児がん(神経芽腫、ステージ4)と診断され、抗がん剤治療(シスプラチン、エンドキサン)、手術(左縦隔神経芽腫摘出術(左開胸))と2年間に及ぶ入院治療を受けた千葉県千葉市在住の赤荻深雪さん(34歳、2016年当時33歳)は、大人にになった。一方、母親が2015年にスキルス胃がん(ステージ4)とわかり、余命宣告を受ける。母親は、前向きに抗がん剤治療(TS-1、シスプラチン)、手術(胃亜全摘、両卵巣と上行結腸の一部を切除)を受け、一度は社会に戻ったが、2017年に他界した。

大切で大好きなお母さんが旅立った。
悲しいというよりも、ただ寂しいと感じる。
まさか本当にいなくなるとは思いもしなかったのだ。

自分がかつて小児がんを経験し、今は、元気にしているし、祖父母も胃がんを経験したが、がんは治っていた。
だから、がんで家族が亡くなるイメージが深雪さんには無かった。

いま街で見知らぬおばあちゃんとすれ違うと、母もあれくらいの年齢まで生きてくれればよかったのに…と涙ぐむ時がある。
大きな「喪失感」を感じていて、とてもつらい。

でも、こんなつらい思いを母親にさせなくてよかった。
自分が小児がんを生き抜いたことは、母親への最大の親孝行だったように振り返る。

健康って本当に難しい。
どんなに健康的に生活していても、がんになる時はなるし、ならない時はならない気がする。
小児がん経験者はその後の人生が長いと言われる。
深雪さんは、がん後30年以上の人生を歩んでいる。

思い返すと、現在の会社に正社員として再雇用された時、健康診断を受けた。
医師に既往歴を書いた問診票を手渡した際、驚かれた。
“小児がん(神経芽腫)”

「これって、当時、お母さんが気づいてくれたの?お母さん、よく気づいてくれたね。こんなに小さい頃に、よく腫瘍を見つけてくれたね…」

そう医師が驚いていたのを覚えている。
私の小児がんを治してくれたのは母親なんだ…、そんな想いを強くした時だった。

母親のスキルス胃がんを契機にインターネット検索をして情報を集めた。
その時、がんの後、元気に社会に戻っている人たちの情報が極端に少ないことを知った。
元気に社会に戻った人たちの情報が欲しくて探したけど、なかなかないことに落胆した。

(取材時の赤荻深雪さん)

だから今回思い切って『ミリオンズライフ』の取材を受け、自分の小児がん体験と情報を出すことに協力した。
いま、小児がんと闘っている子供たちと、そのご家族の皆さんの参考にしてもらえると嬉しいからだ。

私は、いま、34歳。
元気に生きています。

>>赤荻深雪さんの「インタビュー」はこちら

取材:5years 大久保淳一

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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