【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー

小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー 赤荻深雪さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
  3. 第2話「入院病棟での生活」
  4. 第3話「退院~小学生へ」
  5. 第4話「大人になって」
  6. 第5話「自分のキャリア」
  7. 第6話「母親の腹痛」
  8. 第7話「母のスキルス胃がん」
  9. 第8話「母との時間」
  10. 第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」

第8話「母との時間」

3歳の時、小児がん(神経芽腫、ステージ4)と診断され、抗がん剤治療(シスプラチン、エンドキサン)、手術(左縦隔神経芽腫摘出術(左開胸))と2年間に及ぶ入院治療を受けた千葉県千葉市在住の赤荻深雪さん(34歳、2012年当時29歳)は、大人になっていた。一方、母親が2015年10月にスキルス胃がん(ステージ4)とわかり、余命宣告を受ける。母親は、前向きに抗がん剤治療(TS-1、シスプラチン)を受け、今後、手術(胃亜全摘、両卵巣と上行結腸の一部を切除)が予定されていた。

2016年4月、母親は都合5クールの抗がん剤治療をやり遂げ、5月に手術のために入院。
そして、5月23日、外科手術が行われた。

手術の結果、肝臓には活動性のがん細胞は見つからず、腹膜播種も痕跡があるのみとわかり一安心した。
その後、さっそく翌月から術後全身化学療法(TS-1、シスプラチン)が始まり、術前と合わせ、合計7クールの抗がん剤治療をやり遂げた。
吐血してから9ヵ月が経った2016年7月のことだった。

退院して自宅に戻った母親は、ゆっくり回復していたが、胃を切っているためにダンピング症状がきつそうで、深雪さんは複雑な気持ちで母親を案じていた。

夏が過ぎ、徐々に体力が戻ってきた母親は、9月第1週に職場に復帰。
「復職して病気前の日常が戻ったよ」そう喜んでいた。
秋には、メキメキと体力が戻り、12月のCT画像検査では異常なし、腫瘍マーカーも陰性を続け、大変な状態はなんとか乗り越えたと喜ぶ。

1ヶ月という余命宣告を受けてから、すでに1年3ヶ月が経っていた。

その後も順調に経過が過ぎていき、仕事を病気以前と同じようにこなし、春になると、温泉旅行に行ったり、野球観戦に出かけたり、名古屋まで結婚式に行ったりと、とても活動的に生活していた。
すべて順調に思えた。

しかし、2017年4月下旬。
深雪さんのもとに衝撃的な連絡が来る。
姉から母親がスキルス胃がんを再発したとのメールが届いたのだ。
ことの重大さを察した深雪さんは、会社の上司と相談し看護休暇をもらう。
再び母親と過ごす時間…。
「お母さんが、私の小児がんを治してくれたのに、私は(お母さんのがんを)治せなくてゴメンネ」
そう声をかけると「深雪は医者じゃないんだから」と微笑む母。
かつて、「私はお母さんなしでは生きれない」そんな事を感じていた深雪さんの大切な母親。
その人が、8月4日に逝った。

(深雪さんと母親)

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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