【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー

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小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー 赤荻深雪さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
  3. 第2話「入院病棟での生活」
  4. 第3話「退院~小学生へ」
  5. 第4話「大人になって」
  6. 第5話「自分のキャリア」
  7. 第6話「母親の腹痛」
  8. 第7話「母のスキルス胃がん」
  9. 第8話「母との時間」
  10. 第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」

第4話「大人になって」

3歳の時、小児がん(神経芽腫、ステージ4)と診断され千葉大学医学部附属病院で、抗がん剤治療(シスプラチン、エンドキサン)、手術(左縦隔神経芽腫摘出術(左開胸))と2年に及ぶ入院治療を受けた千葉県千葉市在住の赤荻深雪さん(34歳、2002年当時19歳)は、その後、社会に戻っていた。

小学校2年生の時を境に自分が小児がんだったことを語らなった深雪さん。
ただ、3歳の頃の入院生活は楽しいままの思い出として残っている。
ふり返って今思うが、母親と姉の対応により、心が救われている。
もし、これまでの30年近くの間に母親や姉から「良くない思い出」として語られていたら、今の自分の感情は違っていたかもしれない。

母親は大変だったはずだ。
しかし、これまで一度も「もし、あなたが病気(小児がん)になっていなかったら(よかったのに)…」という類の言葉を聞いたことがない。
もし、そんなことを言われていたら暗く引きずる人生に変わっていたかもしれないと思う。

姉に対してもそうだ。
母親に甘えたい5歳~7歳の時、妹の病気が理由で遠方の祖父母のもとに預けられ、辛かったはずだ。
しかし、姉も今までの人生の中で一度も妹の病気がなかったらよかったのに…などと言ったことはない。
だから深雪さんは、これまで負い目を感じることも無く自分を責めることも無く、成長の階段を登れた。
だから、母親と姉には特別に感謝している。

また、障害とか日常生活に支障をきたすような後遺症が無いことも小児がん体験を暗く重たいものとして位置付けずに済んでいるもう一つの理由だ。
家族のおかげで普通に成長し、普通に生活し、変にがんを意識せずにいられた。

高校のとき進路相談のタイミングで、父親からこう言われた。
「お前は生きているだけで儲けものだから…、生きているだけで十分だ」
それまでも何度か言われた言葉で、父親は深雪さんをリラックスさせるために言ったのだと思うが、深雪さんは、まるで期待されていないかの様に感じた。
「生きているだけで十分なわけないじゃん」
この頃から、生来の負けず嫌いの性格が、ぐっぐっと前に出てくる。

自分は奨学金をもらい受けて大学に進学するよりも早く社会に出て活躍したい。
そんな想いから高校卒業後は、地元でスーパーマーケットを運営する会社に就職。
正社員として就職したが、入社してからすぐに失望する。
力を入れている遠方のスーパーに異動になり、そして職場にあるパソコンがとても古めかしくてイケていない職場だったからだ。

次のページを読む >> 第5話「自分のキャリア」

この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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