【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー

小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー 赤荻深雪さんのストーリーです。

このストーリーの目次

  1. 【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー
  2. 第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
  3. 第2話「入院病棟での生活」
  4. 第3話「退院~小学生へ」
  5. 第4話「大人になって」
  6. 第5話「自分のキャリア」
  7. 第6話「母親の腹痛」
  8. 第7話「母のスキルス胃がん」
  9. 第8話「母との時間」
  10. 第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」

第6話「母親の腹痛」

3歳の時、小児がん(神経芽腫、ステージ4)と診断され千葉大学医学部附属病院で、抗がん剤治療(シスプラチン、エンドキサン)、手術(左縦隔神経芽腫摘出術(左開胸))と2年に及ぶ入院治療を受けた千葉県千葉市在住の赤荻深雪さん(34歳、2012年当時29歳)は、社会人になっていた。

28歳から始まった頭痛を契機に自分の小児がんを思いだし、こんなことを感じた。
「(自分が)がんになる運命だったとして、子供の頃に病気を患いラッキーだった。大人になった今なら、つらいとか、痛いとか日々感じるだろうことを、子供だった当時はあまり覚えていないのだから…」

中学生の頃、母親に当時の小児がん闘病日記みたいなものをつけていたのか、好奇心から聞いてみた。
すると、がんに罹患した当初は日記をつけていたが、やがて自然にやめたという。
予後の悪い小児がん(神経芽腫、ステージ4)、まるで娘が死に向かっていく記録をつけているように感じて嫌でやめたという。
母親は、肉体的にも精神的にも大変だったんだなと改めて知った。

28歳から始まった頭痛、イマイチの体調は1年半ほど続き、その後改善し、2013年に復職した。
会社に復帰した深雪さんは、職場と上司の計らいで原則定時勤務、残業なしという安全運転でキャリアを再スタート。

29歳の年、ふとした縁で、小児がん治療当時の自分のことをしる医師と再会する。
あの頃、研修医として病棟にいた人だ。
命と向き合う臨床現場を経験してきた医師は、成長し大人になった深雪さんに驚くと共に感動していた。
当時3歳だった小さな患者が、成長し元気な姿で24年ぶりに目の前に現れたのだから無理もない。

その医師の紹介で深雪さんは交感神経の状態を詳しく検査するため千葉大学医学部附属病院を受診。
検査の結果、「これ以上悪化することは無い」と報告され、明るく前向きな気持ちになれた。
スッキリし、何か一つ吹っ切れた感じがしたのだ。

かつて父親が言っていた「生きているだけで儲けもの…」という言葉が思い出された。
小児がんの記憶が少ないとはいえ、重い病気を患ったのは確かだ。
頭痛から体調を崩し、健康のありがたさを感じていた。

再び、生活が順調な軌道に戻ってきた深雪さんだったが、気がかりなことが起こる。

2015年・夏、母親が体調を崩し、お腹が痛いと言いだしたのだ。
一緒にランチをしたときも、食べるのが大好きな人なのに、あまり食事に手を付けない。
変だと思い、病院に行ってほしいとお願いしても、“大丈夫”ばかり言って、中々行こうとしない。
深雪さんの不安が募った。

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この記事の著者

(5yearsプロフィール)

日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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