小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー 赤荻深雪さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】赤荻深雪さん 小児がん(神経芽腫) ステージ4 サバイバー
- 第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
- 第2話「入院病棟での生活」
- 第3話「退院~小学生へ」
- 第4話「大人になって」
- 第5話「自分のキャリア」
- 第6話「母親の腹痛」
- 第7話「母のスキルス胃がん」
- 第8話「母との時間」
- 第9話「私は、いま、34歳。元気に生きています。」
第1話「小児がん(神経芽腫)最終ステージ」
2015年・秋、母親のスキルス胃がん(ステージ4)を医師から告げられた。
「早いと、この年末くらいかもしれません」
主治医からの余命宣告に凍りついた。
今から34年前の1983年、赤荻深雪(みゆき)ちゃんは千葉県千葉市で生まれた。
母親が小学校の教師で、父親は仕事で単身赴任という家庭。
幼少の頃から、お母さんと2つ違いのお姉ちゃんと3人暮らしの生活だった。
深雪ちゃんは保育園に通っていたが、この年(1987年、3歳1ヶ月)、あまり元気がなく、ぐったりとしている日が続いていた。
母親は「どうしたんだろう…」そう思い不安に感じていた。
ある日、深雪ちゃんを自分の胸に抱きよせた時に左側の首の付け根に小さなしこりを見つける。
そのしこりに触れた時、ゾッとしたという。
胸騒ぎがして、すぐに近所のクリニックを受診すると「風邪かもしれません」そう言われ、風邪薬で様子をみることになる。
しかし、一向に治らないため、他の医療機関を幾つか訪れ診てもらうが原因がはっきりしない。
母親の直感から何かがおかしいと思い、引き続き他の病院でも診てもらうと…、
「急いで大きな病院で検査してもらってください」そう言われ、千葉大学医学部附属病院を紹介された。
急きょ深雪ちゃんを連れて千葉大学医学部附属病院・小児科外科を訪れると、検査の結果、最終ステージまで進行した小児がん(神経芽腫)と判明。
まだ、わずか3歳なのに…、衝撃的だった。
ここから赤荻家は大きな変化の波にのまれる。
当時の小児がんの治療には、家族の誰かが病院に住み込み、毎日、子供の世話をするのが通例だった。
父親は遠く離れて単身赴任。
だから、母親は勤務していた小学校を退職し、一日中、千葉大学医学部附属病院にいる生活となる。
そして、5歳の長女は母親と引き離される。
母親の両親が愛知県にいたので、祖父母に引き取られたのだ。
現役の公務員で兼業農家の祖父母が千葉県まで出てきて孫の世話をすることはできない。
あの日、長女は上京した祖母と一緒に新幹線に乗り、母親・妹と会うことも無く愛知県に移動。
まだ5歳にもかかわらず、母親に会いたいと泣いたらいけないと思い、我慢し続けた。
そして、自分の大切な妹のために毎日仏壇の前で手を合わせ「みゆきのびょうきがなおりますように」とお祈りをしていたという。
※本ストーリーは、ご本人のほか、お母さま(生前)とお姉さまからのお話をもとに書いています。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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