肺がん(肺腺がん) ステージ4 サバイバー 長谷川一男さんのストーリーです。
このストーリーの目次
- 【ストーリー】長谷川一男さん 肺がん ステージ4 サバイバー
- 第1話「映画鑑賞が好きで」
- 第2話「テレビ番組制作会社へ」
- 第3話「独立・結婚・子供の誕生」
- 第4話「首の付け根の腫れ」
- 第5話「がんの可能性が高い」
- 第6話「余命10ヶ月」
- 第7話「抗がん剤治療」
- 第8話「セカンドオピニオン」
- 第9話「“逃げ馬”の戦い」
- 第10話「8年間という大切な時間を生き抜いて」
第6話「余命10ヶ月」
テレビ番組を制作するフリーのディレクターとして活躍していた神奈川県横浜市在住の長谷川一男さん(47歳、2010年当時39歳)は、2010年2月からカラ咳と熱が出ていた。やがて右の首の付け根が腫れてきたので救急でみなと赤十字病院を訪れた。
気管支鏡検査から1週間後、主治医が病室に来た際、「やはり、がんでした」そう短く伝えた。
受けた説明では、採取した組織の遺伝子検査を並行して行っているという。
妻も情報収集に必死になっていた。
その情報によるとで、EGFR変異があれば、分子標的薬「イレッサ」が効果的で予後も期待できる一方、EGFR異変がない場合、イレッサは効果的ではなく、通常の抗がん剤治療になるという。
この説明を受けて「(自分は)長生きできるタイプだったらいいな」そう希望を持った。
入院して以来、なかなか夜も寝られない日が続いていたが不思議と大丈夫だった。
恐らく、高い緊張状態が続いているために変に疲れ知らずになっているのだ。
だから、逆に、この緊張が切れたときが怖い。
一気に気持ちが落ちていくようなことになり兼ねないと不安に感じていた。
そして、2010年3月10日、長谷川さんと妻は主治医に呼ばれ、別室で検査結果を知らされる。
すでに何度か経験した重苦しい雰囲気。医師はこう説明した。
「すべての検査結果が出ました。肺がんのタイプは、肺腺がんです。背骨と肋骨の2ヵ所にがんの転移が見つかり、進行ステージは4になります。そして、遺伝子変異(=EGFR変異)はありませんでした。ですので、通常の点滴による抗がん剤治療を始めたいと思います」
何一つ明るい情報がないように聞こえた。
思わず隣に座っていた妻が主治医にこう質問する。
「(あと)どれくらいでしょうか…?」
一瞬の間を置き医師は、「10ヶ月くらいだと思います」そう答えた。
“余命10ヶ月”
長谷川さんは、この会話のあとの記憶がない。
どうやって部屋を出て、どうやって病室に戻ったのか、何も思いだせない。
ただ、自分の感情がどうなるのか不安の余り、個室に移してもらう。
今からの時間、一番安心できる妻と2人だけの空間に居たかったからだ。
「今日は病院に泊ってほしい」
妻にお願いするといいよと返された。
ただ、幼い子供たち2人が家で待っているから、長谷川さんが寝付いたら家に戻るという。
つまり、次の朝、目が覚めたら再び一人病室にいることになる。
がん治療というのは、一番つらい時でもひとりの可能性がある、そういう生活なんだ…。
そう感じると同時に、これからの治療生活に対し、覚悟ができた瞬間だった。
この記事の著者
大久保 淳一(5yearsプロフィール)
日本最大級のがん患者支援団体 NPO法人5years理事長、本サイト(ミリオンズライフ)の編集人。
2007年、最終ステージの精巣がんを発病。生存率20%といわれる中、奇跡的に一命をとりとめ社会に復帰。自身の経験から当時欲しかった仕組みをつくりたいとして、2014年に退職し、2015年よりがん経験者・家族のためのコミュニティサイト5years.orgを運営。2016年より本サイトを運営。
現在はNPO法人5years理事長としてがん患者、がん患者家族支援の活動の他、執筆、講演業、複数企業での非常勤顧問・監査役、出身である長野県茅野市の「縄文ふるさと大使」として活動中。
>>新聞、雑誌、TV等での掲載についてはパブリシティを参照ください。
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